もう一つの名が『大総統候補』となってから、の生活は以前と比べて大きく変わった。
何をするにしても、白衣の人間が実験動物を見るような目で監視している。には生前の----
というのはどうかと思うが、16歳の記憶がそのままあったから、余計にこの状況に戸惑い、
ひどい時にはひっそりと吐いてしまうこともあった。
彼らは、何がしたいのだろう。が目覚めた場所は、どこかの施設のようだった。
施設の壁はどこも白く、それが光の入ってこない室内を明るくさせている。窓には
まるで逃げられないというように格子が嵌められ、以前隙を突いて出ようとした扉には、
カードキーを持った人間しか出入りできないようなロックがされていた。
こんな、まるで--------牢獄のような場所にを閉じ込めて、どうする気なのだろう。
いや、この施設にいるのはだけではない。不本意だが、今のと同じ年齢の赤ん坊に
、聡明そうな少年たち、青年。年齢はばらばらだったが、白衣の人間の話を盗み聞くと、
彼らも『大総統候補』であるらしい。『大総統候補』を施設に集め、を含めた人間への
教育。それらを繋ぎ合わせると、どうやらここは、捨てられたか売られたかした子供を
『大総統』にするための施設であるらしい。
幼い頃よりそんな教育を受けた子供は、少年・青年と年を重ねるごとに全員が同じ行動、同じ表情をしている。
自分たちは『大総統候補』でしかない、とでも言うように誰一人個性が、抜きん出たものがないのだ。
はそれを見た瞬間、ぞっとした。皆同じ。これは、人間などではない--------クローンだ、と。
ここにいれば、いつかはもあのようになってしまうのだろう。それは確信だった。
自分の未来を思い浮かべるだけで背中を悪寒が走る。それだけでもう耐えられないというのに、
しまいには、
「大総統となるのは君かな」
とにやついた白衣の男どもが話しかけてくる。異常な状況に気が狂いそうだった。
*
が’転生’してから、2年の歳月が流れた。たった2年だけれど、にとってその月日は
以前よりもとても長い。まず身体が成長し、自由に施設の中を歩きまわれるようになった。相変わらず
外への扉が開くことはないが。歯も生え揃ったことによって、言葉も以前のように流暢に話せるようになった。
2歳児にしては言葉を知りすぎなのか、時々白衣の人間がぎょっとすることがあったが、「さすが
『大総統候補』」と言っては気持ち悪い笑いを浮かべていく。それ以外は普通の生活と変わらなかった。
2歳児に帝王学やら何やらを学ばせるのはどうかと思うが、は他の子供に比べて精神面の成長が
早い。(当たり前だ。はあちらでは16歳だったのだ。)それ故に、15、6ぐらいの青年たちと
一緒に学ぶこともある。同じ教室に押し込められて、2歳児と15、6の少年が国を背負うための
教育を受けている。
なぜ、他の者はこの状況に違和感を感じないんだろう。どうして。
(・・・考えてもしょうがないか。どうせここからは出られない)
とりとめもない内容に思考を切り替えようと頭(かぶり)を振る。最近は物事をマイナスに考えることが
多い。止めようやめようと思っているのだけれど。
いつかいつかとここから出ることを目標に今までいろんなことに耐えてきた。
『大総統』にさせようという白衣の人間の思惑にも、白亜の壁に囲まれた生活にも。だけれど時々・・・・。
『大総統』になるまで、一生あいつらの言いなりになって、終いには言いなりとなっていることすら忘れちゃうんじゃ
ないかって。そう、思う。
マイナス思考の無限ループにくしゃりと顔を歪めたときだった。が歩く先に座り込んで膝を抱えた影がある。
白衣を着ていないから、おそらく自分と同じ候補なのだろう。顔を伏せているため確かな年齢は分からないが、
体格的に18、9歳ぐらい。はここを毎日のように散歩しているが、白衣の人間以外の人間を初めて見た。
この先は外へと通じる扉しかない。その為、今の体格を活用して施設の内部を把握したにしか
この場所を知る人間は知らないと思ったのだが。そんなことを思いつつ、何事も無かったように
青年の前を通り過ぎようとしたはぴたりと足を止めた。の足音に肩を揺らした青年の
前に座り、ことりと首を傾げる。
「泣いているの?」
思わず漏れたの言葉は白亜の壁に吸い込まれ、青年は膝に顔を埋めたままビクリと震えた。
施設では珍しい東洋特有の黒髪を揺らし、から隠れるようにますます縮こまる。
どうして。この施設には感情を表す人間などいないと思っていたのに。皆同じ表情をした、
人間しか。の予想を裏切る事実に、驚愕で瞳が揺れ------知らず、の身体は青年に向かって動いていた。
座り込む青年の背に腕を回し、届かない距離を埋めようと青年のTシャツを握り締める。
「・・・・泣かないで。泣かないで」
ああ。ああ。人間とは、こんなにも温かいものだっただろうか。こんなにも、心を揺らす存在だった
だろうか。久しぶりに人間の体温に触れた気がする。
は何度も言葉を繰り返しながら、自分の声がひどく震えていることにようやく気づいた。
そして、青年の服を掴む小さな手のひらも。ぎゅ、ともう一度手を握り締める。
足りない、足りない。温かさが足りない。
からの抱擁を享受していた青年の手が突如動き出した。それに思わず震えると、
どこか憔悴した様子の青年が顔を上げ、を見つめる。泣いていると思った顔は決して濡れては
いなかったが、それでも今にも泣きそうにと同じ黒の瞳が揺れていた。
「・・・っ、」
---------助けて、とどちらともなく呟いた気がした。
青年の腕がの身体を引き寄せ、膝と身体の間に抱き込まれる。青年の腹を跨ぐ形で、縮まった距離を埋めるように
抱きしめる。今度は先程よりも腕が回った。
「・・・・・・泣かないで。・・・私 が、いる よ」
だから、だから。泣かないで置いていかないで傍にいて。