「・・・・さ・、・・・・さん」
やさしいこえ。を揺り動かそうとする、そんな声が、どこからか聞こえてくる。
一度も聞いたことのない低い声色に、眼を薄っすらと開くと、目の前は真っ暗な闇が広がっており、
何かに妨げられているような、そんな気がした。
「・・・ま・・・・いる・・・す・・、いい・・・・・き・・・・」
聞こえない。彼は、何を言っているのだろうか。何度も何度も、の名前を呼んで、
何をしようとしているのか。ふと気づけば、の視線の先に、小さな明かりが見えていた。
本当に、小さな光。先程の声は、その明かりの先からしているようだった。まぶしい。
はそう思い、咄嗟に目を閉じる。
「あなた、いつまで目を逸らしているつもりですか」
「やっ!!」
がば、と布団から起き上がる。何故だかぶるぶると震えの止まらぬ身体を抱きしめ、
は唇をかんだ。
『嫌な夢を見た』
実際には見ていないが、今の気分はそんな感じだ。何度か深呼吸を繰り返し、
ようやく落ち着いた状態になると、は布団から抜け出した。カーテンから漏れる
光が薄暗い部屋の中を浄化しているようだ。
ヨキのところで食事を用意してもらい、宿泊施設から昨日アルフォンスが泊まったはずの
親方の店へ行ってみると、何故だか焼け落ちている。見れば、周りで泣いている人間もいる。
コレはどうしたことだろうか、と説明を求めるためにアルフォンスに近づくと、
大層驚かれた。
「さん!!もう、どこ行ってたの!」
「ああ、すみません。少し野暮用があったものですから」
「・・・・心配、したんだからね」
「はい、すみません」
確かに、アルフォンスとの別れ際は、が一方的に言っただけであったから、
優しいアルフォンスは一日中気が気でなかったのだろう。は頭を下げて謝ると、アルフォンスの先を歩く
エドワードの背中を見つめる。
どうやら昨夜、たちがヨキのところにいた間、ヨキの部下が親方の店に火をつけたらしい。
なんともあの男らしいやり方だと半ば感心しつつ、エドワードがこれからするという行為に
眉を顰める。
「エドワードさん、それは・・・」
錬金術師の三大原則、をエドワードは知らないのだろうか。一瞬そんな考えが頭を過ぎったが、
国家最年少で錬金術師になるぐらいだ。それぐらいは承知の上で、軍の規則に逆らおうと言うのであろう。
エドワードは何トンもあるボタ山を、錬金術であっという間に金塊に変えてしまうと、
これからヨキの所に行くと言った。
「はあ、じゃあ、私は親方たちのところにいますね。何か暴動でも起こされたら困りますし」
なにより中央軍を派遣しなければならないことが、面倒だ。ラストやエンヴィー、
他のホムンクルスたちにとっては暴動で起こる命の犠牲は、彼らの計画のために
必要なことなんだろう。だが、・ブラッドレイとしては、あまりホムンクルス側に
手を出したくないというのが本音だ。むしろキングがあちら側にいなければ、今すぐにでも
手を切ってやりたいとすら思う。
「ああ、じゃあ行ってくるな」
「さん、よろしくね」
「了解しました」
*
「はあい、皆さん」
そんな声とともに入ってきたのは、何故だか満面の笑みのエドワードだ。脇には何か
書類のようなものを抱えており、炭鉱の男たちは気付かずエドワードに突っかかっている。
それに、エドワードが書類を取り出して炭鉱所持者宣言を出すのを、は部屋の片隅で
見ていた。
「鋼の錬金術師・・・ね」
エドワードは頭がいい。そして、アルフォンスも。彼らが何を求めて旅をしているのか分からないが、
彼らとは戦いたくないな、と思った。それはほんの少し残るの道徳心だろうか。
には全く分からなかったけれど。
無事に権利書を親方に売りつけたエドワードは、沈んだヨキを尻目に宴会を開始している。
もその酒を飲み、そそくさと逃げようとする男の影を追った。
「冗談じゃない、冗談じゃないぞ・・・!!」
あんな子供にしてやられるなんて、とヨキは爪をかんだ。こんなことで退役させられれば、
いままでの賄賂も全てぱあになる。どうにかしなければ。ヨキは机の中を必死に探った。
コンコン、
「失礼します」
突然のノック音とともに発せられた声に、ヨキは震え、その人物がだと分かると
眼に見えて身体を縮こまらせた。そしてにこにこと笑うに縋りつくように、ジャケットを
握り締める。
「ブラッドレイ中将、お願いです!わたしはまだ軍人を辞めたくない!」
人は誰しも、他の人間には言えないような部分を持っている。それがばれていないからこそ
幸せに暮らせるのであって、それがもし他に露見すると、仮初の幸せはあっという間に崩壊する。
「ヨキ中尉・・・心配しないでください」
柔らかな声音に、ヨキは顔を上げた。これで助かったのだと安心し、だがその先のの
笑みに、再び凍りついた。”失敗”したヨキを見下すような視線。
「ひ、」
汚らしいとでも言うような冷め切ったその眼に、ヨキはたちまち振るえ、歯がかみ合わない。
ガチガチと歯の根がなる。
「新しい人間をここに呼んであります。だから、貴方は」
----------用済みです。
「おい、!もう汽車が来るぞ」
「ああ、すみません」
いつの間にかそんな時間か。は腕時計を見下ろし、手を振るエドワードに駆け寄る。
「もう終わったのですか?」
「ん?ああ。疲れたなー」
寝たりないとでも言うように、エドワードは欠伸をする。それを見たアルフォンスが、
小さな溜め息を吐いたような気がするが、は見なかったことにした。
カヤルたちに見送られ、ユースウェルを後にする。エドワードたちに聞けば、次は
東方司令部に向かうそうで、途中までは一緒に行くことになった。まだ休暇は残っているが、
セリムの護衛が残っていることだし、そろそろ中央に帰ることにする。
(途中お土産も買っていこう)
それで機嫌が直ればいいのだけれど。東部のお土産をエドワードたちに尋ねながら、
はそんなことを思った。