錬金術-------それは、破壊し、創造せしもの。その技術は国民のために、軍のために、
国のためにあれ。今現在戦っている相手、アメストリスでは、その大儀を掲げている。
『人々を幸福へと導く技術』。それが、兄の言い分だった。
兄が希望を持っている錬金術は、決して人を救うものにはならない。正の感情を集めれば
世界が正の方向へ向うことなどありはしない。この戦争に投入された人間兵器たちは、
イシュヴァール人を殲滅しようとしているではないか。錬金術は--------人を殺し、
神をも冒涜する力だ。
『兄者!!!』
最期まで錬金術は人を救うものだと信じていた兄は、戦乱の中死んだ。錬金術師の
手によって。
--------------錬金術師は、殺 さなけ れば。
*
ぱしゃん、と昨夜の雨の所為で出来た水溜りがズボンに跳ねた。すでに深夜だ。辺りは
仄かな街頭しか点いておらず、道端の大きな水溜りに月が反射している。ぐっしょりと濡れた
ズボンを気にもせず、スカーは今宵のターゲットである錬金術師を見つけて、骨を鳴らした。
自分の存在に気付きもせず、肩までの黒髪を揺らして歩く女の後を追う。他の人間から見れば
、それはただのストーカー行為だっただろうが、スカーはその後姿が、まるで
誘っているようだと思った。ふらりと女が角を曲がり、路地裏に入り込む。
仄かな月明かりだけが頼りだ。スカーは見失わないように、自分も倣って路地に足を踏み入れる。
「-----------・ブラッドレイだな」
かつん、と女の歩みが靴音を響かせて止まった。二人の距離はおおよそ五メートル。
一気に踏み込めば楽に殺せる距離間だ。
女が、ゆっくりと振り返る。あの時も思ったのだが、その女は大層美人な女だった。
顔の右側は黒い眼帯で覆われていたが、それが月明かりに照らされてますます
女の容姿を妖艶に見せている。
「神の道に背きし錬金術師-------------滅ぶべし」
バキン、と先程よりも大きな音で骨を鳴らす。いつでも人体破壊できるようにしながら
に近づいていくが、はその場所で止まったまま動こうとはしなかった。
懐に入れているはずの拳銃さえ取り出す素振りがない。馬鹿にしているのか、と
スカーは憤慨し、手を翳す。
は、スカーをスカーたらしめる額の傷跡に目をやり、ふ、と口元を歪めて笑った。
眼だけが蔑みの感情を映し出し、スカーを馬鹿にするように一礼した。
「ああ、こんばんは。直接会うのは初めてですね」
「断罪の錬金術師、お前を殺しに来た」
「おや、それはそれは・・・私が錬金術師だとよくご存知でしたね?」
『断罪の錬金術師』と言った瞬間、が微かに目を瞠ったような気がした。しかし、
スカーが瞬きをする間に元の小ばかにするような笑みを浮かべていたのだから、
それが当たっていたのかは分からない。
断罪の錬金術師、などその名前を呼ばれなくなって久しい。もともとその名は、キングが
”キング・ブラッドレイ”大総統となってから始めた、錬金術師に国家資格を与えるという
制度でのもの。はその制度での初代国家錬金術師だ。だが最近は、錬金術を使うことがとんと無いため、
が国家錬金術師であるなんて知っている人間がいるとは思わなかった。
はて。ここのところ使った覚えなど----------------
「イシュヴァール殲滅戦で、お前を見た」
「・・・・ああ、」
7年前、「大総統令三〇六六号」によって、錬金術師は戦場の中へ投入された。
イシュヴァールの内乱を終わらすために、人間兵器となりて、褐色の瞳を持つイシュヴァール人の
殲滅。あの戦乱の中、は銃撃戦ばかりだった。錬金術を使うということは、
相手を慄かせると同時に、己の手札をばらすと言うことだから。それでも、一度だけ。
の懐古の表情を、錬金術を使って人を殺したのだということを認めたと勘違いした
スカーは、ゆっくりと足を踏み出した。一歩一歩、に近づいていく。
その距離、残り数歩。そのまま振りかぶれば、触れられる距離。スカーを見つめたまま
動かないを見下ろした。相変わらず、は身じろぎ一つしない。殺されることを受け入れたのだろう、
とスカーは思った。
「神に祈る間をやろう」
「・・・・・・・神、ね」
ばかばかしい、とは笑う。今にも殺されそうになりながら。スカーは何が可笑しい、
と不機嫌な口調で尋ねた。
「神はこの世にはいませんよ。いるのは人間ばかりです」
「・・・・イシュヴァラを冒涜するか」
は、その言葉に、初めて笑みを崩した。
「神がいると言うのなら、どうして---------あの人をあんな目に遭わせたのです」
無表情の中の、小さな悲痛の叫び。それに気付く前に、ぞわりと全身が総毛立つ。
---------------刹那。
ひゅんっ!!
「ぐ、っ!!!」
突如現れた氷の塊が、腿を掠めた。咄嗟に後ろへ下がったからよいものの、気付かなければ
それは確実にスカーの身体を貫いていた。
「、なぜ!」
錬金術なら必ずあるはずのモーションが、にはなかった。練成陣などもってのほか、
この前戦った鋼の錬金術師すら、両手を合わせて円を作っていたのに、には眼に見える
それがない。
「っ!」
思考の間にも、いくつもの氷がスカーを襲う。の後ろから、そしてスカーの足元からも、
凍った氷の刃が生えている。
「空気には、水素が含まれているんです。その氷はそれを利用しただけのこと」
「・・・・・・」
「いつでも術は可能ですが、今日は都合がいいことに、昨日の水溜りが残っていますから」
その場から一歩たりとも動いていないは、サングラス越しに睨みつけるスカーに
笑いかけた。
「なぜ、モーションなしで発動できる」
純粋な疑問だった。その質問に、止まっていた氷の刃や塊が、再びスカーに襲い掛かる。
その様子を見ながら、はひどくゆったりとした様子で地面に視線を落とした。
「・・・・・・・反則技が、ありますから」
-------まるで最初からのものだったように、嵌められたそれはもう、痛くはない。
視線をスカーに戻したは、空気中から練成し、増幅させた氷を、スカーに向けて放った。
轟音と衝撃の後に、地面に穴が開く。
「な、あっ!!」
足場を失ったスカーは、地面の下に落ちていった。沢山の氷を避けられなかったようだから、
恐らく大量出血しているだろう。死んだだろうか、と言う考えが、一瞬の頭をよぎった。
今死んでくれなければ、後でまた面倒なことになるだろう。もう一度対峙するのは
勘弁願いたい。
「・・・まあ、いいか」
死のうが生きようが、どうでも。キングにさえ危害を加えないのなら、には関係のないことだ。
地面にあいた大きな穴を背に、はようやく帰路についた。