かちゃり、とドアが開いて、革靴が床を叩く音がした。この部屋は狭いため、入ってきた人物は
迷いなくこちらに歩み寄って来る。そうして、のすぐ後ろで停止した気配に、
ゆっくりと口を開く。
「・・・ロイ・マスタングに、ばらしたのですか?」
「ああ・・今頃、キング・ブラッドレイに釘を刺されているころだろうな」
年を感じさせる、しわがれた声。その声を聞いて、ただ老成しているとは感じずに
、嫌悪ばかりが込み上げてきた。男に背を向けながら、の顔が歪む。
「あの男、キング・ブラッドレイがホムンクルスであると気づいていたようだな」
「だから連れて行ったのですか--------レイブン」
「いつかはせねばならぬことだよ、ブラッドレイ中将」
キングには最強の眼がある。例え今二人きりだとしても、マスタングにしてやられるよう
なことはないだろう。だが、大総統の座を狙っているような輩と-------キングを一緒の部屋に
押し込むとは、不愉快だ。
レイブンは、昔はまだましだった人種のように思う。これはあくまでの感じたことだが、
この国を護っていこうとする意志、キングに仕えることを誇りに思っていたように思う。
だが今は、目の前にある不老不死に縋りつきたくて必死になっている。なんと醜く、
愚かなことか。これではただの腐りきった肉体だ。は資料を捲る手を止め、
後ろを振り向いた。
「それでも・・早急すぎたのではないですか」
「ふん・・・」
レイブンが、自分の老いに怯えていることを知っている。自分の代で不老不死を成し遂げたいのだろう
と言うことは容易に想像がついた。レイブンを見上げると、ゆっくりと眼が細まり、
次いで皺だらけの手のひらがの頬を撫でる。
「何が怖いのかね?」
「・・・・別に何も」
眼を伏せれば、頭上で小さく笑う音。頬を撫でていた右手が下り、の太ももを
擦る。気持ち悪い。嫌悪にぶるりと身体を震わせてみれば、くつくつと咽喉で
笑う声がする。
「もし”キング・ブラッドレイ”に万が一が起きようとも-------君が代わりになればいい」
「な、」
「--------大総統としての教育は、受けてきたのだろう・・・?」
まるで小さな子供に言い聞かせるように、優しい声が、耳元で囁いた。
ガチャッ
「ー?」
狭い部屋の中に、新たな第三者の声が響いた。目の前にいるレイブンの所為で
その人物が見えないのだが、恐らくその声からして'彼'だろう。爪先立ちになってみれば、
屈んでいるレイブンの肩越しに、青い軍服の青年が見えた。ドアの前で、不自然にドアノブを握ったまま
固まった軍人が立っている。
「エンヴィー、どうしました?」
「え、あ、いや・・・ラースが呼んでるよ」
声をかけると正気に戻ったエンヴィーが、完全に見なかったふりをして親指で後ろを
指し示す。一緒に来いと言うことなのだろう。こちらも固まったままのレイブンと
壁の間から抜け出し、エンヴィーに近づいていく。そのまま部屋を出ようとすると、
何かを誤魔化すようにごほん、と咳き込むような音が聞こえた。
レイブンを資料室に残したまま、ドアを閉めてエンヴィーと二人並んで執務室へ向う。
「もしかしてさ、さっき邪魔した?」
先程の光景がよほど気まずいものだったらしく、エンヴィーが眉根を寄せる。
確かに思い出してみれば、はレイブンに壁に追い込まれていた。そんな
光景は自身だって客観的には見たくはない。苦笑しつつ首を横に振る。
「いえ、むしろ助かりました」
「じゃあ、何やってたんだよ?」
「いやーエロ親父が盛ってただけですよ」
だからこれ以上聞くなよ、という意図を込めて微笑んでみると、エンヴィーの顔が
一瞬にして引き攣る。それが何となく失礼だなと思いつつ、たちはようやく
執務室に到着した。コンコン、と軽くノックすれば、中からはキングの入室を許可する
声。ノブを捻るときに、エンヴィーを一瞥すれば、扉の横に軍人らしく直立している。
どうやら、この部屋の中にいる人物が出てくるのを待っているようだ。
「失礼します」
部屋の中に入れば、を呼んでいたキングと、マスタング、そして-------見知った顔。
「!?」
「さん!!」
「----------おや」
金色の目に、金髪の少年と、大きな鎧。二人は入ってきた人物がだと知ると、
椅子から立ち上がって立ち竦む。
「何で、が」
状況の把握ができないのか、エドワードは目を大きく見開いたまま、そう呟いた。
アルフォンスのほうは鎧で覆われていたため、顔の表情は見ることはできないが、
声色からして恐らく同じように驚いているのだろう。
そしても、まさかこの二人がいるとは思っていも居なかったため、内心ひどく驚いた。
一瞬だけ顔に出てしまったが、何とか瞬きの後に表情を元に戻す。
「知り合いかね」
「・・・・ええ、この間の休暇で、少し」
にっこりと笑ったキングに、何か含みのようなものを感じながら頷いた。未だ立ったままの
エドワードとアルフォンスに座るように勧めると、戸惑った様子でそろそろと椅子に
腰を落ち着かせる。
「、紅茶を入れてくれないか」
「え、・・・あ、はい」
もしかして、キングが呼んだのは紅茶を入れて欲しいからだったのだろうか。ふと浮かび上がった
仮説に、一瞬返事することを躊躇うと、キングは一つ頷いた。それがまるでの考えを
肯定しているようだ。執務室に備えられている給油室に足を進める。
-------視線。それも、疑いの目。
視線の主など、振り返らずとも分かった。先ほどから沈黙を貫き通していた人物。
ああそういえば、'会うのは初めて'だったか。
すっかり空になっていたカップに、新しく紅茶を注ぎ込む。まずはキングに、そして
マスタング、エドワード、アルフォンスの順。全てに入れると、はキングの後ろで
待機する。湯気を立てる紅茶を、困惑した表情で見つめるエドワードから
目を反らし、キングたちの話す内容に耳を傾けた。
*
-----------何故、がこの部屋にいるのだろうか。
いや、そもそも。そもそもが軍人だったことすら------エドワードは知らなかった。
初めて会ったときから、は騙していたのだろうか。エドワードが、ユースウェルの街で
国家錬金術師と知れたときも、ずっと。
いや、騙そうという気がなくとも、黙っていたことは事実だ。そう考えれば、
イーストシティでジャック犯を捕まえたとき、がいつの間にか消えていた
理由も納得できる。同じ軍人に、会いたくなかったからだ。
この部屋にいて、尚且つキング・ブラッドレイの傍にいる。そして、エドワードたちの話に
ぴくりとも眉を動かさないを盗み見れば、恐らくホムンクルスのことも、
知っているのだろう。彼女は、---------”あちら”側だ。
だから。
ウィンリィの名を、キング・ブラッドレイから告げられたとき、エドワードは一瞬にして
頭に血が上った。どうしてどうしてどうして、どうしてあいつが。そう思った瞬間には、
エドワードは机を思い切り手で叩きつけて、目の前の眼帯の男に怒鳴っていたのだ。
だから。
かちゃり、と耳元で、銃を構えられる音がする。しばしの、呆然。
「なんで、」
エドワードがキングに、歯向かった、刹那。キングの後ろで控えていたは、
ズボンと腰の間から銃を取り出すと、一瞬で距離をつめ、エドワードに銃を向けた。
米神に宛がわれた冷たい銃口に、冷や汗がエドワードの頬を伝う。
「・・・っ!さん!!」
「キングに歯向かわないでください」
「、っ」
「----------------不愉快です」
悲鳴のような叫び声を上げたアルフォンスに見向きもせず、は冷たい声で言葉を発する。
初めて会ったときのような、柔らかい口調ではなかった。まるで、エドワードを
”敵”だと、認識したような、氷のようなそれだった。
「、銃を収めろ。・・・鋼の錬金術師も、座りたまえ」
凍った雰囲気を気にせず、紅茶を飲みながらそう告げたキングに、は銃を下げる。
いつもとは違う、冷たい横顔。エドワードは震える足を叱咤し、どすん、と
椅子に腰掛ける。アルフォンスは俯き、マスタングはを見ながら何かを考えているようだ。
「・・・で?どうする?」
こつこつ、とキングの指先が、エドワードの血に塗れた懐中時計を叩く。エドワードは、
唇を噛み締めながらそれをポケットに仕舞った。もう、何が何だか分からない。
分からないままだ。キングは、エドワードが懐中時計を仕舞ったのを見届けると、
再び先の続きを話し始めた。
エドワードたちが部屋を出て行ったのを見届けると、はキングのカップにコーヒーを注いだ。
こちらは完全に、豆から挽いたものだ。不味いことに定評のある、東部のコーヒーよりは
幾分もましだろう。
「すみません、キング。邪魔してしまいました」
ついエドワードの言葉に、行動にかっとなってしまって、自分らしからぬ行動をとってしまった。
いつもは冷静沈着で通っているはずなのだが--------いや、やはりキングに関することとなると、
沸点が異常に低くなってしまうのはいつものことだ。静ずかにコーヒーを味わう
キングから目を伏せて、ぎゅう、と拳を握る。
「・・・構わんさ。あれで、二重の意味での釘になっただろう」
「だと、いいのですが」
キングに歯向かえば、いつでも排除する準備はできている。眉を下げてぽつりと呟くと、
キングは苦笑する。
「さ、一緒におやつは如何かね」
「・・・いただきます」
*誤字修正(2010.4.6)ウィンリー→ウィンリィでした。すみません。