「ここ、お座りしても?」


人影で翳った本の文字から目を離し、ゆっくりと顔を上げる。黒髪、黒曜石のような目。 からすれば元の世界のアジア人のようだと思いつつ、目の前の美丈夫に席を勧める。


まあ、そろそろ来る頃だろうとは思っていたが。

にっこりと心の奥底が見えない笑みを男は見せ、口を開いた。


「この間はどうも。鋼の錬金術師が失礼をいたしました」
「いえ・・・構いませんよ。閣下も気にしていないようでしたから」


ぱたり、と本を閉じ、紅茶を口に含む。男も近くのウェイターにコーヒーを頼んだ。 そんなに居座るつもりなのだろうか。はひっそりと溜め息を吐いた。


「・・・まさか、軍自体が真っ黒だったとはね・・・。すっかり騙されていましたよ」


お陰で部下は皆飛ばされてしまいました、と男は笑う。


「そして、貴女にも」


そう言ったマスタングは、コーヒーを運んできたウェイターに気付き、口を閉じる。 そしてウェイターの姿が遠ざかると、黙り込んだままのを見遣った。


------------この男は、自分の何を知っているのだろう。


こちらを見つめてくるマスタングの視線から目を伏せ、はそう思った。 そもそもマスタングとは、この間の執務室で初めて会った。エドワードに銃を向けたを、 その黒の瞳で見つめ、何かを考え込んでいたマスタング。副官のリザとは、彼女が幼少のときから 知り合いだった。父親のホークアイとは、錬金術の研究をしていたのだということを、 リザから聞いているのだろう。


「まさか、先生のご友人がこんなにお若いとは思いもしませんでした」
「---------回りくどい言葉は止めてください。もう、分かっているのでしょう?」


ゆるり、と口元に笑みを刻む。疑っていること、確信を持っていること、それはマスタングの 表情を見れば容易に分かる。マスタングはその言葉に何度か瞬きを繰り返すと、ふ、と 格好を崩して笑った。


「そうですね・・・・では、貴女はホムンクルスですか?」
「いいえ。彼らのように、不死ではありません」


私だって、鉛玉をその身に受ければ、容易に死ぬことができるんですよ。そういいながら、 右手の親指と人差し指を立て、銃の形を作る。


「不死ではない、ということは’不老’ではある、と」
「ご想像にお任せしますよ、マスタング大佐」


カップを持ち上げると、そのまま紅茶を飲み干した。ついでに近くを通ったウェイターに 、お代わりを頼む。その間、マスタングは黙り込んで足を組み替えた。


「では。ヒューズを殺したのは・・・・・・・・・貴女、ですか?」


-------それが本命か。


先ほどとは打って変わって、きりりとした真剣な表情のマスタングに、思わず閉口する。 そういえば、この間もキングにそう言ったことを聞いていた。それほどまでに彼にとっては 大事な人間なのだろうか、マース・ヒューズという人は。


さて、ここはなんと答えるのがベストなのだろう。恐らく犯人を教えても、構わないのだろうが。 キングはこの質問を軽くかわしていた為、自分もそれに倣うことにする。 ホムンクルスにマイナスなこと、キングにマイナスなこと。それを天秤にかけるまでもない。


「マスタング大佐は-----どう思われますか。私が殺したと、お思いですか」


反対に問いかけると、マスタングは逡巡迷いを見せ、そうして小さく首を横に振る。


「正直、分かりませんが。でも、貴女ではないと思います」


その答えは意外、だった。が殺していないのだというのなら、マスタングの問いは 何だったのだろうか。もしかして、鎌をかけたのか。そうだとしたら、ずいぶん肝の据わった男だと 思う。


「・・・分かりませんよ。私は、キングの命令には従いますから」


殺せといわれれば、簡単にその引き金を引く。それが、の、’この世界での’存在 理由だ。運ばれてきた紅茶に手を伸ばし、ゆっくりとスプーンでかき混ぜる。


「まさしく’軍の狗’、ですね」


ぴん、と張り詰めた雰囲気。反吐が出るとでも言うように、マスタングは投げやりに 答えた。机の上で握り締められる男の拳から、は目を反らす。


「貴方は、何か勘違いをされていらっしゃる」


そう告げると、マスタングは意味が分からないといったような顔をした。



白亜の壁、赤い液体、見下した目つき。
もうき れ いだったころにはもどれない から。



「私は、軍の狗になったつもりも-------ましてや、ホムンクルスの狗になど」


確かには、国家錬金術師になった。そうして、その力で人を殺したことも、勿論ある。 命令に従って、引き金を引いたこともある。だがそれは、軍の命令でも、”お父様”の 命令でもない。


「-------私は、キングの狗なのです」


だから邪魔はさせない。歯向かうことも許さない。キングに銃口を向けたとき、それが、 私がこの世界を見限る最後。


全部全部破壊して、破壊しつくして。
泣けばいい、絶望すればいい、許しを請えばいい。
--------だけれど、許さない、よ。










マスタングの分までの会計を済ませ、はようやく店を出た。 入店前は大分ざわついていた大通りも、今やすっかり閑静なものだ。 は一度だけ、未だ店の中で身じろぎしないマスタングを振り返った。


(驚いていたな・・・)


そんなにの発言は可笑しいものだったろうか。’狗’発言にぎょっと目を見開いた マスタングは、嬉しそうに笑ったに、何も言うことはなかった。 が席を立ったのも気づかず、項垂れて。


「ふふ・・・」


あの、女好きのロイ・マスタングが。まさかあんな風になるとは思いもしなかった。 もう少し噛み付いてくるかと思ったのだが、予想外にガラスのハートだったらしい。 可愛いところもあるものだ。は小さく嗤った。


「やっぱり、あの人嫌いだな」


釘を刺しても、あの男が目的のために立ち上がってくるのは容易に想像できた。 そして、キングもそれを承知の上で、あの男を認めた。


「嫌いだ・・・・」


はもう一度呟くと、大総統府に向かって足を進めた。








(2009.6.22)