紅蓮の錬金術師、ゾルフ・J・キンブリーが出所した、と聞いたのは、その日の午後のことだった。 しかも、教えてくれたのはキングではなく、わざわざエンヴィーが教えてくれたのだ。キングは 最近忙しいのか、まったく会っていない。恐らく「約束のあの日」が近付いてきているからだろう。


マスタングも、エドワードたちも、スカーも、各々動いていると聞く。それぞれが、 それぞれの持つ野望のために。


はその日、セリム・ブラッドレイの護衛のために、国立中央図書館にいた。セリムが わざわざ図書館に来て、何を勉強しているのかは知らない。勉強を教える家庭教師は別にいるし、 セリムの見る本に何の脈絡もなかったためでもある。医療、錬金術、経営、掌握術など。 挙げればきりがないが、恐らく「外」から見たセリム・ブラッドレイの印象を、’勤勉で 努力家な良い子’にしておきたいのだろう。


今も、その小さな体躯ほどの大きな本を机の上に広げ、熱心に勉強している。その向かい側には、 セリムの様子をにこやかに見守りながら、詩集に視線を落としているブラッドレイ夫人の 姿があった。


「お母さん、僕、本を返してきますね」
「あらあら、もう読んでしまったの?」
「はい」
「じゃあ、迷わないようにね」


夫人の過保護にも思える言葉に、セリムは笑顔で頷き、早々に行ってしまった。も 護衛のために、後をついていこうとすると、「ちゃん」と、呼び止める声。 ぴたりと足を止めて、黒スーツのガードマンに目配せをすると、ガードマンはセリムの行ったほうへ 足を運ぶ。はそれを見届けると、名前を呼んだ夫人を振り返った。


「はい、何でしょうか」
「・・・ちゃん、ここに座って」


にっこりと笑いながら、夫人は先ほどまでセリムが座っていた椅子をに勧めた。 しかし、いくら夫人が勧めようと、は一介の軍人だ。大総統夫人と同じ席になど着いては ならないのに。にぃっこりと、いっそ腹黒ささえ感じさせる笑みを、向けられて。 「・・・はい、」と渋々頷いてしまったのだ。


ちゃん、もうすぐお誕生日でしょう」
「?あ、はあ・・・?」


大総統夫人直々の話だ。何か重要なことでもあるのだろうかと思い、身構えていたが、 彼女の口から発せられたのは何てことはない、「」に関することだ。自分の考えていた 事とはまた違う話の内容だったため(セリムの事とか、キングの事とか、だ)、は 肩の力を抜く。


あの日、すべてが始まって、キングもも、この世界の流れに巻き込まれたとき。は 生まれ変わる意味で、あるいは、元の世界の自分を捨てる意味で全てを変えた。それゆえ、誕生日は キングと出会ったその日になっているはずだ。(そう、もうすぐだ。)あと少しで、 キングと出会ったその日を迎える。


「その日は家にいらっしゃいな。一緒にお祝いしましょう」
「・・・ですが、私は一介の軍人ですし」
「そんなこと関係ないわよ。ちゃん、私は貴方のこと、本当の家族のように思っているわ」


有無を言わさぬ雰囲気で、夫人はに畳み掛けてくる。


「家族、ですか」
「ええ。ほら、あの人仕事のこと何も言わないじゃない?でも、ちゃんには何もかもを預けている 気がするのよ」
「・・そう、でしょうか」
「そうよ。・・・妻としては、悔しいけど。でもそうやって何かを預けられる人がいるだけで、 楽になるでしょう」


そう言って、静かに笑った彼女に、「違う」と言ってしまいたかった。自分がどんなに キングを好きでも、キングは貴女を選んだのですよ、と。確かに最初は義務で付き合っていたのかも しれない。だけれど、あんなに幸せそうに目を細めて、貴女を見る目はひどく優しいのだと。 この女性は、正直だ。自分がすでになくしてしまった綺麗な心とか、惜しげもなく表す感情や 労わり。キングが何故この女性を選んだのか。すこし、分かった気がした。


「夫人も、閣下にとって居なくてはならない人です」
「・・・・・有難う。ちゃんが、居てくれてよかった」
「(居てくれてよかったなんて、初めて言われた)」
「あの人が何を考えて軍のトップにいるのかは分からないわ。もういい年なんだから 引退したら、とは度々言ってるのにね」


自分だって、キングにやめて欲しいと言いたかった。このままでは「約束の日」までに 何らかの抗争に巻き込まれるかもしれないのだ。でも、きっと恐らく。キング・ブラッドレイが ラースである限り、大総統である事をやめはしないのだろう。それは確信だった。けれど、それを 何も知らない「一般人」の夫人に伝えることは許されない。夫人までこっちの世界の巻き込むことは、 キングが阻止するだろう。その全力を持って。


「・・・・何を、考えているのかは分からない、けれど。でももし、何かがあったらそのときは、」

ちゃん、どうかあの人をお願いね」


ああ、この女性はもしかしたら何かを知っているのかもしれない。なんてありえない考えがの 思考を駆け巡る。夫人はの手を両手で掴んで、ぎゅ、と握り締めた。


「お願いね」
「はい」



至極真剣な視線が、を貫く。キングはもちろん護る。けれど、夫人も守らなければ いけないと、漠然と思った。彼女が死ねば、キングはもちろん悲しむだろう。もしかしたら それすらもラース(怒り)に飲み込まれてしまうのかもしれないけれど。セリムも、きっと。 そして何より自身が、彼女に死んで欲しくないと思ったのだ。


「あら、あっちが騒がしいわね」


そう言われて、声のするほうに目を向けた。あちらは、先ほどセリムが向った場所だ。 また揉め事を、と小さく溜め息をついて、は立ち上がる。同じように席を立った 夫人は、の溜め息に微笑んだ。


「セリムのことも、可愛がってあげてね」
「・・・はい」
「あの子、ちゃんのこと好きみたいだから」


ふんわりとした笑いだけを残して、夫人は声のするほうへ歩き出してしまった。最後の言葉に固まっていたは、 それに気がついて慌てて後を追う。


(好きって・・・絶対玩具的な意味ででしょう・・・)









(2009.8.19)