孤独に濡れた手-U
__________冷たい石畳に、身体を打ち付けられたような感触がした。
「う、」
痛みと寒さに、思わず身体を丸める。ジャラッと、重い金属音がして、引きずった足に石のような
冷たくて硬いものが纏わりついている感触。
・・・ここは、どこだろう。ゆっくりと開いた瞳に映ったのは、一面石畳で覆われ、
光も差し込まぬ部屋だった。 いや、これが部屋と呼べるものだろうか。いっそ牢屋だといったほうが
いいかもしれない。 つん、とカビ臭い、埃の積もった臭いが鼻腔を擽る。
(・・・ここは、どこ?)
自分は確かに、紅麗と薫と、時空流離という技を使って
空間を通ってきたのは覚えているのだ。 そう、この度の、火影との戦いを始めるきっかけとなった
男------織田信長を、殺すために。 森光蘭が死んで、花菱烈火率いる火影と和解したとしても、
や紅麗たちにとってそれらは全ての終わりにはならなかった。 沢山の仲間が死んでいき、
時にはその戦いに関係のないものさえ犠牲になっていったこと。そのものたちを弔うために、
また、たちが新たな人生を歩んでいくために。 そのためには、そもそもこの戦いの原因である
信長との決着をつけなければならない。
だから、たちは織田信長と対峙するために時空を越え、戦国時代へとやってきた。はず、だ。
『はず』なのは、自分が今の状態を把握できないからである。 身体を動かそうにも、まるで鎧でも纏っているようにその身は重く、ようやく頭が動く程度。
仕方なしに目だけで辺りを窺うが、様子は先程と変わらず石畳に囲まれたままである。 目覚めた頃よりはましになってきた頭で
一緒に来たはずの紅麗と小金井を探すが、ここには自分ひとりしかいないようだ。
二人の息遣いも、気配も全く感じられない。
時空流離という技は、いわば諸刃の剣だ。 本来曲げてはならぬ時空を無理やり捻じ曲げ、他の時空に
干渉するのだから、常に高いリスクが付き纏う。 同じように紅麗の後を追ってきたはずなのだけれど、
どこかで道を間違ってしまったのだろうか。 かなり広い範囲の気配を探ってみたが、自分が知っている
気配は全く感じられなかった。 代わりに、そこそこ強い武士のような研ぎ澄まされた気配と、
一般人の匂い。もしかして、自分だけ別の場所へ飛ばされてしまったのではないかと、最悪の可能性が
頭の中から離れない。
(怖い。怖い。・・・こわ、い)
ぎゅう、と爪を立てるぐらい強く拳を握り締める。 強く強く、考えを打ち消すぐらいに、強く。
知らぬ間に奥歯をも噛み締めていたようで、歯が折れるような音の後に鉄臭い匂いが口の中に広がった。
・・・血は、嫌いだ。体中を走る嫌悪感に耐え切れず、咥内に溜まった血液を地面に吐き出す。
ぴちゃっ。勢いをつけて吹き出した血は、くもの巣のように石畳へと張り付いて
赤黒く染まる。 散々見慣れた赤ではあるが、襲い来る言いようのない衝動はをひどく惑わすものであった。
視界に入れないように目蓋を閉じてみても、拭うことのできない口端からぬめった赤が
伝うのが分かって、気分が悪い。
今すぐにでも口を濯いでしまいたいが、手も足も枷をされた状態ではそれは無理に等しいであろう。
自分の相棒であった魔道具がここにあれば手枷も足枷も、牢屋もぶっ壊すことができるのに。
だけれどそれは、時空を渡る前に全て壊れてしまったから。今、にあるものは、なにもない。
紅麗も小金井もいないのに、身一つで生きていくのはあまりにも酷なこと。
「っ、くれいさまくれいさまくれいさま」
できうる限り身体を端の方に寄せ、その存在を消すように小さく小さく身体を丸めた。
この世界がいつの季節なのか、光の入ってこないこの部屋からは全く分からなかったけれど、
きんきんに冷えた石畳がの身体から体温を奪っていく。そういえば、今は膝丈のスカートに
ブラウスの上へセーターを羽織っただけだった、と生身が石畳に触れる部分から思い出す。
あそこで戦い終わってすぐに飛び込んだのだからしょうがないのだけれど。
ここに、紅麗がいたら。小金井が、いたら。少しはこの寒さも、心細さも、なくなるかもしれないのに。
・・・噛み締めた唇が、痛い。今にも泣き叫びたくなりそうな心が、痛い。
◆ ◆ ◆
『まさか、次の宿主がこの身体とはな』
深い暗闇に静かに灯る焔の中で、最も鋭く光るものが低く呟いた。
誰に尋ねるでもないその言葉は、まるで宿主の心情を表しているような心底暗い、深い闇へとゆっくりと融けていく。
『何の因果だろうね・・・どう思う、桜火』
最初に言葉を発した焔とはまた別の焔が、心底分からないと言いたげにゆらゆらと揺れる。
最初の焔とは違い、いっそ優しささえ感じさせる仄かな光は、一瞬の後、先程までの姿が嘘だったかのように
その姿を変えた。 白い忍び装束を身に纏い、後ろで一つまとめにした女性が凛とした態度で
そこに立っている。
その女性--------崩(なだれ)、は次に姿を現した桜火(おうか)と呼ばれた髭面の男
を一瞥する。
『・・・俺には分からん、が』
と一端そこで言葉を切り、先程とは違い、確かに存在している己の腕を組んだ。
--------確かに、己らは因果を断ち切って消えたはずだった。
以前の宿主である少年が自分たちの願いを叶え、静かに姿が消えていく感触を覚えているのに。
何故かまたここに存在している理由は、 。
『まだ、全ては終わっていないのかもしれない』
全ては、憶測に過ぎないのだけれど。
<2009.1.17>
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