そして世界は産声を上げた-U











「会ったのか?」


いつものように突拍子もなく背中にかけられる声。 洗濯物を抱え、外へ向かおうとしたは、その高貴で尊大な声にゆっくりと振り向いた。



「義姫様・・・どなたに、ですか?」


膝を折ろうとするのを義姫は片手で制したために、挨拶もそこそこに、先程の質問について傾げる。
すると、義姫は分かっているだろうというように愉快気に目を細め、口を開いた。


「離れに童がおったじゃろう」
「・・・・隻眼の方ですか」
「うむ。今日からあやつがお前の護衛対象じゃ」



そう言われて、昨日の隻眼の子供を思い出し、静かに目を伏せる。


ひどく不愉快に、悲痛な様子で「帰れ」と発した子供は、を部屋から追い出すとぴしゃりと障子を閉めてしまった。
離れの主に追い出されてしまっては掃除をすることは不可能だろうと思い、周りの庭だけ 綺麗にし、城まで戻ってきた。
義姫の命令に背いた形になってしまったが、あれ以上彼の機嫌を損ねるのも拙いだろうから。


もあの子供の態度に嫌な気分になって------隻眼の彼も不愉快だったろうに、どうして義姫は 『離れの掃除をしろ』なんて命令を出したのか。
昨日からずっと疑問に思っていたが、その答えは隻眼の彼が『護衛対象』だったかららしい。


「本当に、わたしでよろしいのですか?」



義姫の命令に逆らう気はないのだけれど、何度も確認してしまうほど、今のは弱い。 もともと向こうでは’弓’を使ったバックアップが主だった。
そのため、自分が主体となって 敵を排除するのはにとって不得意分野だ。護衛となれば接近戦にもなるのだろう。
その証拠に、喜多は匕首を使いこなせるようにと念を押してきたのだから。


自分の代わりに、他のきちんとした護衛を置いたほうがいいのではないのだろうか。
『護衛』というぐらいだ。義姫にとって大切な人なのだろうに。


そう言うと、途端に義姫の顔が満面の笑みになる。___ああこの顔は、「何を馬鹿なことを言っている」 、だろう。

持っていた扇での顎を持ち上げ、耳元に唇を寄せると、これ以上ないほど甘い声でそっと囁いた。
-------くらくらと眩暈のするぐらいの甘い香りが義姫から漂う。


「お前だから頼むのじゃ。・・・・”あれ”は、いらんからな」




こ  の  ひ  と  は  。

その甘い声で発せられる言葉は、なんて残酷なのだろう。 に戦う術がないことを、他でもない義姫が一番知っている。それ故、弱いことも承知しているはずなのに、 護衛をさせるのは、”あれ”と言われた隻眼の子供が義姫に要らないからだ。
要らないから弱いに頼んでも構わない、死んでも構わないとそう言っているのだ義姫は。



それは結局、隻眼の子供も、自身もその存在を否定されたことと同じ。
『要らない護衛対象』を護る、そのためだけにはその存在を許されているのだ。
だから、隻眼の子供を亡くしてしまえば、自 分 は  。
「、はっ、ぅ」出会って一ヶ月の義姫を信頼しているわけでないけれど、異常なほど彼女に縋りついている事も事実で。 独りは怖いから、だから棄てられないように命令を聞いている。




顎を持ち上げた扇で、の顎のラインをゆっくりとなぞる。
先程の突き放すような残酷な言葉と反対に手つきはひどく優しくて、だからまた騙されそうに、なる。 ___分かっているのだ。
義姫に存在を否定されたって、どっちにしろ自分はこの人から逃げられない。
義姫の命令を聞くだけで、彼女のために生きるだけで------彼女は自分と一緒にいてくれる。 独りの世界ではなくなるのだから。


------そんな優しい空間を、失うわけには、いかない。だから、護る。




結局、全ては自分のためなのだけれど。




「義姫様、わたし、あの子を死なせません」


義姫の目をまっすぐに見据える。
紅麗の瞳とは違う、兄の眼とも違う。彼女の眼は、いつだってを嗤っている。



「殺させや、しない」


義姫の唇が、歪んだ。






◆     ◆     ◆








「・・・・本当に、あなたが護衛を?」


怪訝な様子で上から降ってきた疑問に、「是」と簡潔な返事を返す。
決意だけはあるが、護衛には自分もあまり自信がない。彼から見れば自分は隻眼の彼と同じ 子供であるから、余計にに抱く不安もあるのだろう。
未だに送られる視線に内心溜め息を吐きたいのを我慢して、半歩先を歩く男に声をかけた。



「片倉様」
「・・・なんでしょう」
「わたしが護衛を務めさせていただくのは、どういう方なのですか?」


義姫には何の情報も__名前すら聞いていないため、小十郎に聞くしかないと思って尋ねたのだが。 やはり拙かっただろうか。小十郎からの視線のキツさが増した。



「・・・・義姫様よりお聞きになっていないのですか」



一層不審さを含んだ声の小十郎に、「ええまあ」と曖昧に答えると、とうとう男の口から大きな溜め息が漏れた。



むっつりと眉根を寄せた小十郎は、己の隣で足を進める小さな子供を見下ろした。
政宗の母、義姫に命ぜられて護衛を担当することになったと子供-----は言っていたが、 小十郎がその言葉を信じるまでに何度も聞き返したものだ。
三回だったか、四回だったか覚えてはいないが、最終的にはの持っていた義姫直筆の勅命書で ようやくは政宗に会うことを許された。
が危惧していたとおり、こんな子供が護衛などできるのかという疑いの目で小十郎は 見下ろしてくる。
こんな眼には、あちらの世界にいたときも、この一ヶ月間でも、慣れているが、それでも気持ちのいいもの ではない。居心地が悪そうには身を捩った。


「伊達、政宗様です」
「え、」



僅かに顔を強張らせた小十郎が呟いた言葉に、はぴたりと足を止める。
・・・どこかで、聞いたことのある名前だ。聞き覚えのある名前に、どこで聞いたのだろうと 首を捻っていると、が立ち止まったことに気づいた小十郎が数歩先で振り返った。


「どうしました」
「あ、いえ・・・」


ふるふると首を振り、再び歩き始める。

伊達政宗。伊達政宗。・・・独眼竜、『伊達政宗』?


記憶の中を探り、不意に思い至った名前。その人物のことを詳しくは知らないが、 『遅れてきた戦国大名』とか『三日月がついた兜』とかをうっすらと学校で習ったような 記憶がある。
記憶が曖昧なのは、興味がない所為だというのもあるだろうが、 生まれた頃より戦闘面ばかり磨いていたため、あまり学校に行った記憶がないからだ。
さすがに中学1年生で学がないのは駄目だと音遠やら磁生に諭されて、渋々学校に行った覚えがあるが。

兄など、学校に行っていてもテストは赤点だと聞いた。


話がずれた。
とにかく、薄っすらとではあるが、『伊達政宗』が独眼竜と言われるほどにはすごい人物なのだと いう認識はあった。
しかし少なくとも-------昨日が会った少年は、『独眼竜』といわれるほどの 人物には見えなかったのだけれど。


「伊達政宗様といえば、独眼竜ですか?」
「・・・・何を仰っているんです?」
「え、あ、・・・・なんでもありません」


やはり人違いだったのだろう。訝しげな様子の小十郎に首を横に振って、口を噤む。
納得していない様子だったが、小十郎は顔を前に戻し、どちらも喋らずに沈黙のまま歩いた。


____ぴたり。いくつもの障子の前を通り過ぎ、小十郎の足が突然止まった。
ここがそうなのかと小十郎を見上げると、ちらりと一瞥されただけで、小十郎はそのまま 部屋の主へ声をかける。



「政宗様」
「・・・・・・・・小十郎か」
「女中が参っております」
「いらん」



小十郎がしたように廊下へ膝を付き、部屋へ入る許可が下りるのを待つ。
部屋からは昨日聞いたはずの何もかもを拒絶する声色ではなく、どこか弱々しげな声が聞こえた。
政宗と小十郎の問答を何度か聞いているうちに、部屋の中から小さく「入れ」という声が聞こえて、 は一歩先へ進み出た。
小十郎が頷いたのを確認して「失礼します」と声をかけ、 障子を開ける。



---------部屋の中は朝にもかかわらずどんよりと暗い。まるでその暗さが目の前の少年から発せられているようで、 は目を瞬いた。








<2009.1.21>