そして世界は産声を上げた-T
あれから、一ヶ月が経った。
あの後、「わたし、こことは違う世界の人間です」と義姫に言うと、義姫は扇で扇ぎながら、
「ならばはやくこっちの慣習に慣れろ」
と何でも無いことの様にそう告げた。・・・ここまで無反応もショックなのだけれど。
とりあえずこちらについて知るには、色々と体験しなければならない。
は女中見習い、という立場で教えを請うことにした。
「もそろそろ一人前ね」
「本当ですか?」
「ええ」
奥州の朝は寒い。今が雪の降る時期だから、というのもあるのだろうけれど、あちらでは東京という
人口密度の高い場所で、しかも文明の利器があったからそこまで寒さを感じることはなかった。
スイッチ一つで寒さが凌げたし、何より身に付けていた制服は防寒着でもあったのだから。
そんなことを思いながら、洗濯物を皺にならないように伸ばし、物干し竿にかける。
たったそれだけの動作だったが、手は悴み、薄着の身体は震える。
自分が持っていた洗濯物を干すと、もう耐えられない、というようには両手に息を吹きかけた。
「喜多さん、寒くないんですか・・・」
自分の隣で洗濯物を叩いていた女中------喜多に話しかける。
喜多は、が牢屋から出たときに湯殿で相手をしてくれていた女中であった。
から見ても羨ましくなるような艶のある髪を結い、覗く肌は雪のように白い。
美人だといっても差し障りない整った顔立ちをしている。
喜多はその容貌をこちらに向け、「慣れよ」と簡潔に答えた。
あの日から一ヶ月も経ってしまったが、喜多たち女中に教えてもらったのはなにも洗濯ばかりでない。
この世界の礼儀作法、料理、掃除の仕方、果ては護衛術まで。
さすがに最後の護衛術には驚いたであったが、聞くと喜多たちは義姫の護衛兼女中であるとのこと。
草もいるが、女中が護衛をしていたほうが敵から紛れられる、らしい。
も例外なく、しかし普通の刀や薙刀はの身体には大きすぎるということで、匕首を使って
急所を突くことが課題とされていた。
「喜多さーん」
「語尾を延ばさない」
「うあい」
怒られた・・・!
本気で怒られたわけではないが、喜多のような美人に言われると条件反射で腰が引ける。
うぅ、と唸るに苦笑して、喜多は先を促した。
「どうしたの」
「あ、えと。・・・今日の朝、義姫様に呼ばれまして」
「ええ」
「それで、『明日から護衛の任についてもらう』と仰られたので」
’ある人物’って、誰なんでしょう?と続ける。
義姫がああいったからには、にはそれを拒む権利がない。
あのような非公式な忠誠の誓いではあったけれど、その効力は他の女中やその他家臣と同じく
絶大なものに違いないだろう。 だが、この世界を知ってからまだほんの一ヶ月のにとっては、
護衛の任は少々辛いものがあった。 それはなにもあちらの世界で戦う術を全て無くしてしまったから、
というだけではない。 義姫の言う’ある人物’が誰であるのか--------義姫が他人事のように
言うことからも’それ’は義姫自身ではない---------が気になって、仕方がないのだ。
「・・・・・心当たりが二人ほど」
「二人、ですか?」
「・・・・ええ。そのどちらにしても____」
ぱあんっ。そこで言葉を切り、洗濯物を勢いよく伸ばす。
---------今はもうどす黒く染まってしまった、白。元に戻す術なんてありはしないのに。
ゆるりと頭を振り、を見て微笑む。
「なんでもないわ」
「・・・・・・」
「さあ、終わったから朝餉にしましょう」
うまく誤魔化された気がしないでもないが、要するに『これ以上触れるな』ということだろう。
そしてその拒絶に怒るほどは馬鹿でもない。
身長が足りないため使っていた木から降り、洗濯籠を抱えることで喜多への返事とした。
◆ ◆ ◆
喜多たちと一緒に朝餉を食べ、次の仕事に取り掛かる。
いつものように箒を手に取り、自分に宛がわれた場所へ移動しようとしたとき、
喜多に呼び止められた。
声のした方へ身体を向けると、同じように箒を持った喜多がこちらを見つめていて、しかし
朝とは違うその表情にことりと首を傾げる。
「喜多さん・・・?」
どうかしたのか、というニュアンスをこめて喜多に尋ねる。
悲しそうな、それでいてどこか苦しげな表情で沈黙を保つ喜多に、は瞬き、再び喜多の名を呼んだ。
__どうか、したのだろうか。喜多は義姫に呼び出されていたけれど、そこで何か言われたのだろうか。
からすれば、義姫は喜多のことをだいぶ気に入っている様に見えたから、喜多が悲しむようなことは
言わないと思っていたのだが。
喜多さん、と3度目の名を口にしようとしたとき、
「、あなたは・・・・・あっちにある離れの掃除をお願いするわ」
「、え?」
「・・・・・」
「で、でも、あの離れには近づくなって・・・義姫様、が」
最後にいくにつれて小さくなっていく言葉に、ぎゅう、と箒を握り締める。
なんで、どうして?だって、あの離れに近づかないことは、義姫が最初に出した約束だった。
『あそこには化け物がいるのじゃ』-------そう、言って。
’化け物’を信じているわけではないが、そんな子供騙しのような言葉を使ってまで、
あの離れには近づいてはならないといっていたから、何か秘密でもあるのかと思っていたのに。
「・・・・その義姫様からの、ご命令よ」
「っ、」
’義姫様のご命令’。そういわれると、こちらも拒否のしようがないし、理由を聞くこともできない。
今朝とは違う淡々とした様子で言葉を紡ぐ喜多に内心訝しみながら、はこくりと頷いた。
◆ ◆ ◆
ずっと、暗闇が恐ろしかった。(この眼は何も見えない)
沈黙が恐ろしかった。(嫌でも独りであることを思い知らされて)
畏敬が、嘲りが恐ろしかった。(あ あ、そんな目で見るな)
------------母上が、恐ろしかった。(どうか、愛 し て)
は、と唐突に目が覚めた。自分はいつの間にか眠っていたらしい。
己の身体に纏わりついた着物が、じっとりと湿っていて、その不快感に政宗は眉根を寄せる。
この汗は熱かったからだけではない。
きっと、夢見が悪かったからだ。
はぁ、と大きな溜め息をついて、政宗はゆっくりと身体を起こした。
ひ ど く 身 体 が だ る い 。
ゆるゆると顔を上げ、部屋の一角にある机を見遣る。
机上は政宗が意識を飛ばしたときから寸分も変わっておらず、放置したままの紙の山が積まれていた。
思わず2度目の溜め息を吐きそうになったけれど、’このような’自分に与えられた仕事だ。
城のものからは、母親を筆頭に疎まれているし、弟である小次郎に家督を継がせようと色々と策を
弄していることも知っている。 だから、そんな自分に家督を継がせようと四苦八苦している
父親や家臣からの仕事を終わらさないわけにはいかないだろう。(たとえ自分に、継ぐ気がなくても)
家のことを考えるだけで陰鬱な気分になったときだった。
かたり、と隣の座敷からほんの僅かな物音が耳に飛び込んできた。
瞬間息を詰めて、隣の部屋を窺う。
「・・・・(草、か・・・?)」
今まで気づかなかったが、確かに一つの気配がある。
それは草と思っても仕方がないほどの、本当に薄い気配。
もう一度先程よりも大きな物音がして、政宗は手を胸に当て、懐に匕首があるのを確認する。
そして息を殺し、気配を消して隣の座敷へ近づくと、一気に襖を開け放した。
「誰だ!」
「・・・・・・え?」
その時、お互いの目に映ったのは、同じぐらいの年の子供。
どうしてこんな場所に子供が。
お互いがお互いに誰だ?と首を捻り、思考を働かせる。
はで目の前の子供が化け物なのかと疑問符を飛ばしていたし、政宗にいたっては
ずいぶんと小さな間者だなと勝手に決め付けていた。
「なんの、ようだ」
寝起きと不審人物への緊張が政宗の声を掠れさせる。
普段小十郎に刀の使い方を習ってはいるが、それも本気で習得しようとしてしない。
どうせ家督は自分にはこない、と政宗の頭が刀を握ることを拒否しているからだ。
だから、あのような小さな体躯でも、間者として来たのならきっと政宗よりは強いのだろう。
こいつが本気を出したら、俺は、きっと。
目の前の童へ、自分を殺しに来たのかと言外に尋ねる。
知らずきりり、と目が吊り上がり、を睨めつけた。
ここで弱みを見せたら、間者にさえ命乞いをしたら。 その瞬間にきっと、義姫は自分を切り捨てる。
その切り捨てられる原因が、こんな、こ ん な 童、 ?
--------そんなの、ごめんだ。
右目を布で覆い、残った左目だけで侵入者のを睨み続ける。
時間は永遠かのように思えたが、ふいに、子供の口が言葉を発するために動いた。
「お掃除に、参りました」
自分は何も悪いことはしていないのだと、堂々たる様子で。
本当に命じられたのだと持っていた証拠の箒を突き出すと、不愉快だとでも言うように政宗は眉を吊り上げ、
そして一言こう告げた。
「帰れ」
やめろやめろやめ、ろ。この箱庭に--------誰も、いらない。
<2009.1.21>
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