貪欲な右手-T
「殿」
背後からかかった一つの声が、箒で掃くの動きを停止させた。
この声は、とその人物を頭の中で探し出し、後ろを振り向く。
「・・・片倉様」
決して来ることはないだろうと思っていた人が、そこにいた。
政宗とが刺客に襲われ、発見されてから一ヶ月ほど経った。あの時の痛々しいほどの切り傷は
傍目には分からないほど薄くなっている。
ただ、擦り傷のみの政宗とは違い、は腕の骨折もあって、今もその左腕は布で吊り下げられているが。
「大分、良くなったようですね」
「・・・はい。おかげさまで」
いつもよりもふんわりと柔らかい雰囲気で、小十郎は笑った。
「あの、片倉様」
「何でしょう」
「・・・・・・政宗様は、お元気ですか」
「ええ。元気ですよ」
あの事件から、は自分の傷を癒すために政宗の護衛をしていない。
片腕が使えない状態では、護衛の任など全うできないからだ。もっとも、両腕が使えても弱いということには
変わりはないのだが。
護衛の任についていないが、政宗に会う機会などなく、顔を見ていないままだ。
「ですが、寂しがってます」
「え、」
「だから早く、会いに来てあげて下さい」
そう言ってを見下ろす目は、ひどく優しい。
---------どうして、と戸惑った。今までの小十郎は、と政宗が一緒にいることを
よく思っていなくて、それはその態度に顕著に現れていた。
声色であったり、目つきであったり、雰囲気であったり。
小十郎は、まるで親の敵とでも言うような態度で接するのだ。だから、政宗と会うことを
勧めるとはどういうわけなのだろうと思う。
「・・・・いいんですか?わたしが、会っても」
「ええ。政宗様を命がけで護ってくれたことに感謝してしますから」
だから義姫の部下であるを認めたのだ、と小十郎は言う。
「片倉様、でもそれは・・・当たり前のことだと、わたしは思います」
「・・・・・・・」
「護衛ですから、護るのは当たり前で、感謝されるべきことではありません」
むしろ詰られてもおかしくはないことだ。弱い所為で、政宗を危険に晒してしまったのだから。
ふるり、と頭を横に振ると、「それでも、」と一際大きな声が耳に届いた。
「それでも私は、感謝しておるのです。--------------ありがとうございます」
感謝の言葉とともに頭を下げると、ひゅっと息を呑んだ音が聞こえた。
がいくら護衛であろうと、義姫の部下だ。それなのに血だらけになりながら政宗を庇った
ということが、小十郎の先入観を変えた。 彼女は今まで義姫が寄越してきた人間とは違う、
と思うことができた。
「片倉様、顔を上げてください・・・」
「はい」
「わたし、は、その・・・弱い人間です」
「・・・・・・」
「でも、だから、・・・弱いわたしを、認めてくれてありがとう、ございます」
魔道具もない自分が、認められたのだ。それが八竜の力だとしても、こんなに嬉しいことはない。
「------------ありがと う、ございま す」
だから、頑張ろうと思うのだ。
◆ ◆ ◆
------------強くなりたい。強く、強く。
そうして、彼女を護りたい。どうしてそう思うのかは分からなかったけれど、もう傷つけたくないのだと
いう思いが、政宗の中にたくさん存在している。
ずきりと痛んだ胸元を押さえ、政宗は竹刀を手放した。そろそろ竹刀を握り締めすぎて、
手の感覚が鈍くなっている。 ゆっくりと手を開くと、ここ何週間かほどでできたたくさんの肉刺が、
いくつか潰れていた。
(・・・小十郎は、どうしたんだ?)
集中しすぎて彼の存在を忘れていた。いつの間に出て行ったのだろう。
仕事なら声をかけてくれればいいのに、と悪態を吐きかけて、おそらく自分が気づかなかっただけだろうと
思い直した。
政宗だけがいる道場に、痛いほどの静寂が広がっている。
それ故に、いまだ気配に疎い政宗でも、こちらに近づいてくる足音を拾うことができた。
この静かな足音は小十郎あたりだろう。では、残りの摺り足は?
その人物を思い出そうとして、入り口からの声に思考をとめた。
「・・・・・・、」
「政宗様、お久しぶりです」
「・・・もう、怪我はいいのか」
「はい。後は腕だけです」
そうか、と安堵の息を吐く。一ヶ月も寝込んでいたのだ、思ったよりも元気そうでよかった。
薄く笑った政宗に、は目を見開いた。四六時中一緒に居たと言うのに、政宗の笑い顔なんて
初めて見たのだ。 驚くのは当然だろう。
「・・・その、」
何かを言おうと口を開いたはいいが、何を言えばいいのか分からない。
「政宗様、わたしの名前、初めて呼んでくれましたよね」
「え?」
「だって、今までお前とかだったじゃないですか」
そう言われて、記憶を探る。確かに、政宗はのことを認めていなかったから、今まで
名を呼んでいなかった気がする。 自然に呼んでいたから気づかなかった。
指摘された内容に驚きつつ、知らず緊張していた身体の力を抜く。
はそれを見越して関係のないことを嬉しそうに言ったのだろうか。
「・・・・たくさん、言いたいことがあるんだ」
「はい」
「でも、自分の中で纏まらなくて、何から言ったらいいのか分からなくて」
「・・・はい」
拙いながらも言葉を紡ぐ政宗を、柔らかく微笑みながらが見つめる。
直接ではないけれど、間接的に怪我の要因となってしまった自分が言う資格などあるのだろうか。
その疑問は、政宗が意識を取り戻してからずっと考えていたこと。
けれど、伝えなければ、それこそと一緒にいる資格はない。
別に言わなくても、も小十郎も、世の中も許してくれるだろう。
そうやって護衛が命がけで護ることは当たり前のことだ、と政宗の立場を知る人は言うだろうから。
けれど、それでも、自分が許せないのだ。
ぺろり、と唇を舐める。
「-----------------ありがとう」
「政宗様」
「助けてくれて、ありがとう」
「・・・・・・はい」
は小十郎に告げたように、護衛が主を護るのは当然だと考えている。
だから同じように政宗の言葉を遮りかけて、政宗の今にも泣き出しそうな顔に
口を噤んだ。
「今度は、俺が・・・・」
「今度こそ、わたしが」
----------護るよ、と言えるようになれたらいいのに。強く、ツヨク。
<2009.2.14>
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