世界崩落音-U







「・・・・・・え?」



と、思わずと言った風にの口から漏れ出た言葉に、と向かい合った形で座している 義姫は不快そうに顔を顰める。


「・・ちょっと、待ってください・・・え?」


痛む頭に、米神を押さえる。義姫の言った言葉が、理解できない。もしかしたら聞き違いかとも思い、 縋るような目で義姫を見上げる。


「・・・聞こえなかったのか?」


「________政宗に『この薬』を飲ませろ、とそう言ったのじゃ」




そう言って、懐から取り出した赤紙を、ゆっくりと左右に振った。さらり。さらさら。 沈黙の広がる部屋に、砂のようなものが流れていく音が響いている。音の発生源など、 考えずとも分かった。義姫が凶悪そうに笑いながら振る、その赤紙の中身だ。


「・・・・・なん、で」
「『なんで』?分からんのか」



ひどくゆっくりとした動作で、綺麗に染まった扇を持ち上げ、口元を覆い隠す。 にぃ、と口元が吊りあがるのが義姫自身にも分かった。


「お主の、心の在り様が知りたいのじゃ」
「こころ、ですか」
「うむ。妾と政宗、どちらに忠誠を誓うのかと思うての」


----------忠誠?そんなの、そんな、の。何てひどい。


忠誠のありかを示すためだけに、政宗に薬を飲ませるのか。戸惑った目で義姫を見つめるけれど、 当の義姫は綺麗に笑っただけで、はそれから目を逸らし、後ろで控えている喜多に 目を向ける。


「・・・っ、喜多さ・・・!」
「喜多には縋れんぞ」
「痛っ・・・!!」


目を向けると同時に、正面から伸びてきた白磁の手が、の顎を掴む。そうして、無理やり義姫の 方を向かされ、妙に凄みのある顔が、を嗤った。


「喜多は、妾の言うことしか聞かぬ」
「・・・・・・」
「『裏切れば、どうなるか』分かっておるからの」
「----------え、」


義姫は、嗤う。
嬉しそうに、狂った顔で。


掴まれた顎は抜け出すことができず、内心義姫の力の強さに舌を巻きながら、視線だけで 喜多を捉える。喜多はの視線に瞠目した後、戸惑ったように目を泳がして、静かに、 目を伏せた。


「、喜多、さん」


ショックだった。確かに、絶対君主の義姫に、ただの女中が逆らえることはできないのだけれど。 それでも、拒否されたことに。だとすれば自分は、この命令に従うしかできないのだろうか。


______________『政宗に飲ませろ』、なんて。


「これで分かったじゃろう、お主は自分で決めるしかない」
「・・・・っ・・・」
「大丈夫、この『薬』は死にはせぬ。『死には』せぬよ」


優しく、優しく、小さな子供を諭すような柔らかな声色で、義姫はに語りかけた。 喜多にも拒否され項垂れたに、赤紙に入った薬をそっと握らせる。 小さい。その薬のあまりの小ささに驚き、絶望、した。


「この世界」でを生かしてくれたのは、目の前で綺麗に笑う義姫だ。紅麗が拾ってくれた この命を、ここまで永らえさせてくれた女性。感謝をしている。忠誠も誓った。 何を迷うことがある?政宗は、ただの護衛対象だ。それを命じた女性がいらないと、 言うのだから。


、拒まないでくれ』


-------------でも、



『お前を護りたいから』


------------------------でも。わたし、は。



「少し、考える時間をください・・・」
「ほう?」
「少しで、いいですから」


震える声で、はそう言った。の後ろにいる喜多には、その顔は見えなかったけれど、 恐らく泣いてはいないんだろうという事は何となく分かった。泣いてはいないけれど、でも、 泣きたい気持ちだろうとは思う。



----------喜多も、そうだったから。



義姫は、の発した言葉に、面白そうに口元を歪ませた。こうやって人が悩み、苦悩する 姿を見るのは心地が良い。機嫌の良かった義姫は、の要求を飲むことにした。三本の指を立て、 に目の前に突き立てる。


「三日じゃ。三日、やろう」


そうして与えられた猶予にも、は何にも反応しなかった。自分で欲したその三日間が、 何よりも---------地獄のように、思えた。






◆          ◆           ◆





三日間の猶予が与えられたことにより、とりあえずは見なくてもよくなったと思っていた その赤紙に包まれた薬。の考えを読んでいたのだろう、義姫は無情にもその薬を 押し付けて、「下がれ」と退室を命じた。そういうわけで、今の懐には、件の 「薬」が仕舞われている。


「・・・・・はぁ、」


ゆっくりと、薬のある辺りに手を宛がう。あまりにも薄くて表面上は分からないそれは、 だけれど確実にを沈ませるものであった。


「----------?」
「、政宗、さま」


どきり、と嫌な意味で心臓が跳ねる。


選択を迫られたであったが、義姫からは普段どおりに任務を遂行しろと、退出間際に言われていた。 その為に政宗の居る離れにまで足を運んだのだから、ここに政宗がいるのは当然のこと だろう。だけれど、にすれば今最も会いたくなかった人だ。


ゆっくりと懐から手を下ろす。政宗は、離れの廊下に座り込んで いた。久しぶりに帰ってきた庭の景色でも見ていたのだろうか。


「・・・、どうした?何かあったか」


平静を勤めているだが、それでも政宗には分かったらしい。怪訝そうに眉を顰めて、 立ち尽くすを見上げる。



「いいえ、何も。・・・政宗様こそ、そんなところに出て、風邪引きますよ?」
「ん?ああ・・・雪を見てた」
「雪、ですか」



も政宗の近くまで歩みを進め、廊下にぺたりと座る。冷えた床の温度が着物を通じて、 の身体に伝わってくる。あまりの冷たさに顔を顰めて政宗の方を向くと、隻眼の青年は そんなを見て小さく笑っていた。義姫の嗤いとは違う、眩しい笑み。急に恥ずかしさを感じて、 目を逸らす。


「ま、政宗様寒くないんですか?」
「・・・Ah,寒いが・・・・」


そこで言葉を切り、少し距離を開けて座るに手を伸ばす。ぽかんと口を開けた に苦笑しながら、政宗はを引き寄せて膝の上に横向きに座らせた。そのまま、 小さな頭を胸元に押し付ける。


「これで寒くねえだろ」
「・・・・屁理屈ですよ」
「かもな」


くくく、と頭上で笑う声がする。咽喉の振動が、政宗にぴったりとくっ付くにまで 伝わってきた。その振動に身を任せ、目を伏せる。恐らく湯殿に行って来たのだろう、 政宗からは風呂上りの良い匂いが立ち上り、の鼻腔を擽る。


「どうした?」


大人しくなったに、政宗は声をかける。しんしんと降り積もる雪と、政宗たちの二人。 何の物音もしないこの離れは、まるで世界から隔離されているようだと政宗は思った。


、」


目を伏せたの髪の毛をゆっくりと撫でる。彼女の髪の毛は、初めて出会ったあの日から まったく変わっていない。髪が伸びてもはすぐに切ってしまうから、肩までの髪を 垂らしたままだった。一度だけ、どうして髪を結わないのか聞いたことがある。 その質問には笑って、「ある人が、この髪型を褒めてくれたから」と言っていた。 ひどく懐かしそうに。


今思えば、恐らくその人物が紅麗だったのであろう。


、-------------悪かった」


え、?と声を出して、政宗を見上げようとすれば、ぎゅうぎゅうと頭を胸元に押し付けられる。 まるで、見るなというように。若干の息苦しさを感じながら、それに大人しく従うと、 ほっとしたように息を吐かれた。


________悪かった、と言われて。頭に思い浮かぶのは、無理やりに体を暴かれたこと。 でも確かに痛かったし、政宗は怖かったけれど。には逃げるという選択肢すら思い浮かばなかったのだ。 何故かは分からない。その無骨な手で、直接肌を触られて、でも。


-------------嫌じゃ、なかった。


「謝らないで、ください」
「・・・・」
「わたし、嫌じゃなかったですから」


そう告げると、頭上ではっと息を飲む音が聞こえた。伝わっただろうか。政宗の気持ちも、 自分の気持ちも分からないけれど、でも。今自分の中にある曖昧で暖かなこの気持ちを、 伝えられただろうか。


あまりにも拙すぎる言葉に、は自分の唇を噛み締めた。こういうとき、自分の口下手なところが 嫌になる。政宗の着物を掴んで、今度は自分から顔を埋めてみると、政宗は小さく笑った。


「・・・・・じゃあ、自惚れてもいいんだな?」
「・・・うー」
「くく、冗談だ」


(政宗様、嬉しそう)



には分からない。どうして、自分なんかの気持ちを欲しがるのか。自分のこんな簡単な 言動で、嬉しそうに笑うのか。分からなかった、けれど。自分も、何故か笑っていたことに驚いて、 そして絶望した。



________わたしは、こんな人を裏切るのかもしれない、のだ。




くるしい。かなしい。


「ごめんなさい」と、小さく小さく呟いて、は再び目を瞑った。


------ほんの少し、涙が出た。






<2009.8.10>







史実のアレ。実は捏造だとか言われてるけど、これは是非とも主人公にやってほしかった。 だからやらせた。いや、やらせようとしている。