世界崩落音-X







幼い頃から、義姫の鋭い双眸に見つめられると、体が震えた。何を言われるのだろう、 何をされるのだろう、と彼女を怯えた目で見てしまうのは、ちょっとしたトラウマが 政宗の中にあるからだ。


逃げたい、と思うのは、自分が傷つきたくないからだ。だけれど、「」絡みの 話を持ち出されては---------逃げるわけには行かないだろう。


(ここで逃げるなんざ、男のすることじゃねえ)


それが好きな女の話なら、尚更。ぐ、と唇を噛み締めて、政宗は力のある目で義姫を見つめた。 絶対に逃げたくない。負けたくなんか無い。義姫は、睨みつけるような政宗の眼に つい、と目を細める。そして傍らに置いていた扇を手に取ると、半分ほど開いて 口元を覆った。


「久しぶりじゃの」
「・・・・はい。お久しぶりでございます」
「元気にしておったか?」
「はい。・・・母、上もお変わりなく」


一瞬、義姫を「母」と呼んでいいものか迷ってしまった。別に、彼女のことを母と 認めていないわけではない。きっと、義姫がそう呼ばれることに嫌悪を抱くだろうと 思ったからだ。義姫は、政宗が右目を失った日から、「母」だと思いたくないようだったから。 そう、醜い「化け物」だと、罵って。


「気持ち悪い、化け物め」
「ははうえ、」
「呼ぶな!・・・見るに耐えぬ容貌をしおって」

母上、母上、母上。そんな汚いようなものを見る目で、おれを見ないでください。 すみません。ごめんな、さい。


「小次郎、さ、あちらで母と遊ぼうぞ」
「はい!」


待って、ははうえ。ははうえ、・・・・・・・どうして、おればかりが。 化け物、だから・・・?


「・・・・・っ、」


------------------気持ちが悪い。

あの幼き日を思い出すと、いつも気分が悪くなる。今だってゆるゆると這い上がってくる 吐き気が咽喉元まで込み上げてきて、政宗を苦しめる。特に、心臓の辺りが気持ち悪い。 どくどくと、心臓が変に大きく跳ねて、静かに息を吸った。


吐く。

吸う。


こういうときは、 の手を思い出すと何故か楽になるのだ。あの柔らかな手が、政宗の額に、頭に、 頬に、身体に触れる。「綺麗な手」だと言った、あいつの手。


「は、ぁ」


ほら。楽に、なった。

ついでに、落ち着いてきた。早くの事を聞き出して、部屋に戻ろう。先に寝ておけとは言ったが、 あののことだ。恐らく布団の上でうとうとしながら政宗の帰りを待っているだろう。 早く帰らなければ。あの、変なところでお子様なが、眠ってしまうかもしれない。 帰ったら、まずあの小さな体躯を抱きしめてやろう。思い切り、この上ないほど。 ぎゅうぎゅうと抱きしめて、己の気持ちを伝えてみよう。


そう思えば、何も怖くなかった。ゆっくりとその伏せていた顔(かんばせ)を持ち上げると、 弓なりになった義姫の目が合った。桜が描かれた扇によってその薄い唇は隠されてしまってはいるが、 恐らく政宗を見て笑っているのだろうとは予想がついた。滑稽な?馬鹿馬鹿しい?それでも、 いい。がいる。小十郎がいる。成実がいる。部下が、いる。



-------一人じゃない。



左目に宿った力強い光に、義姫は目を瞠った。あの幼き日に、義姫が政宗の小さな手のひらを 拒絶してから、幾年。初めて光のある瞳で、義姫を見つめた。ずっと自分が怖がらせていたのだと、 誰に言われずとも知っている。作るのには長い時間が掛かるが、壊すことは一瞬なのだ。 あのたった一度の裏切りで、政宗の心が急速に離れていくのは知っていた。


--------それが寂しいなんて、己が言えるわけ無いじゃないか。


許して欲しいとは言わないけれど、こちらを見てほしいのだ。・・・なんて、 唯の我侭だ。そんなことは分かっている。義姫本人が、分かっている。 だからこそ、間違った方法で、こちらを向いてほしいと切に願うのだ。


自分の事ながら歪んだ願いをしている、と口元を歪める。


「ずいぶんと、に懐いたものじゃな」
「・・・・懐く、なんて」
「可哀想じゃの。・・・・・’アレ’はお主を裏切るぞ」


に、圧力はかけた。今迎えに行っている喜多も、恐らくを丸め込むだろう。 渡した薬は、何も本当に飲まさなくてもいい。ただ、政宗より義姫を選んだのだと言う ポーズが欲しいだけなのだ。こんなにに懐いている政宗のことだ。裏切られたとすれば、 きっと悲しむし、傷つく。


その時は、義姫の出番だ。



何を言っているのかわからない、というような顔をして、政宗は義姫を見つめてくる。


は、お主を毒殺しようとしておる」
「なっ、!・・・ん、なわけ」
「ならば、自分の目で確かめよ」


障子に映った二つの影を視界に入れて、義姫はうっそりと微笑んだ。


「・・・・・・入れ」



徐々に開いていく障子の向こう側で、件の少女が目を瞠っているのが、見えた。





◆         ◆          ◆






遅くなるから先に寝ていていいとは言われたものの、自身も出かける用事があった。 できれば、政宗がどこかへ行っている内に義姫の部屋を訪ねてしまいたいのだが、 生憎、「喜多が迎えに行くまで部屋を出るな」とのお達しだ。早く来ないだろうかと やきもきしながら部屋で待っていれば、ようやくの待ち人。何故か全く喋ろうとはしない 喜多を不思議に思いながら、は喜多の部屋に到着した。


「入れ」


どこか愉快さを含んでいる言葉が部屋の中から投げかけられる。それに応じた喜多が 、音もせずにするすると障子を開いていく。は数秒ほど唇を噛み締め、懐に入った 薬を確かめると、障子の隙間から部屋の中を覗いた。


-------そうして、目を瞠る。


「どうして、」


と、思わず口から出た悲鳴のような言葉を耳にした政宗がぐるりと振り返る。 廊下には、自分と同じように目を見開いて驚くの姿。どういうことだと、義姫に尋ねる前に、 障子を閉める音によって遮られた。


、良く来たの」
「・・・・はい、」
「で・・・・・答えは、出たのか?」


ひゅ、と息を吸う音が聞こえた。部屋の片隅でゆらゆらと揺れる蝋の炎は、初めてこの世界に来た あの日の暗い牢屋で見せた時と同じ----------義姫の表情を映し出す。固まってしまったに、 座るようにと優しく投げかけられる。喜多はといえば、障子の前に座し、の後ろ姿を見つめた。


「・・答え、は」


面白そうにこちらを見つめてくる義姫と視線を絡ませ、小さく息を吐いた。決意は、もうすでに したはずだ。何を怯えることがあるのだ。奥歯を噛み締めながら懐から薬を取り出すと、 はっ、と息を呑む音。


--------政宗だ。


「どちらも、選びます」
「何?」
「わたしは、政宗様も、義姫様も、好きです」


だってこんなに優しい人を、裏切れるわけないじゃないか。どちらかを選ぶということは、 どちらか片一方を捨てると言うことだ。そんなの、絶対に嫌だ。我侭と言われてもいい。 強欲だと、罵られてもかまわない。だけれど、足掻こうともせずに、切り捨てるのだけはごめんだ。


「だから、わたしは」


そう区切って、薬を包む紙を解き始める。何をする気だと不審な目で見つめてくる義姫と、 心配するような目付きの政宗。心配しないで、と政宗に笑いかけると、は徐にその薬を 飲み込んだ。


「な、!!!」
「ば、か・・!」


ざらざら、とどこか頭の奥のほうで響く音。うまい具合にフィルターに掛かった、その 流れるような音はごくん、と苦味に眉を顰めながら飲み込んだによって、 遮られた。



「これで、文句は無いでしょう?」
「政宗様のためにも、もちろん義姫様のためにも、わたしは命を懸けるつもりです」
「どちらも、大事です。大切な方です。選ぶことなんて、できるはず無いじゃないですか」



ふわり、と。いつものように優しげな笑みを浮かべて。


ようやく我に返った政宗は、その場から立ち上がり、を抱き上げた。「わ、!」 子供を抱くように、筋骨隆々とした片腕にを座らせる。思わず政宗の首に 腕を回して抱きつくと、大きな手のひらが背を擦った。


「-------------母上、今夜は、ここで失礼します」
「、あ・・・ま、待て!」



珍しく焦ったような声を上げた義姫を一瞥し、政宗は部屋を出ていく。



------------満月が、綺麗な夜のことだった。








<2009.9.28>




展開が速すぎる?そんなの前からじゃないですか←
やっと薬を飲ませるところまできました。ごめんね!(誠意が感じられない) お姫様抱っこより、子供抱きの方が好きです。でも、俵担ぎの方がもっと好きです。 でも薬飲んだ状態だと、「おえっ」ってなって、女の子としての何かを色々と失いそうだなと 思って自重しました。