暗い場所だった。目を凝らしてみるが、何も見えぬ。もしかすると、自分はまだ 目を瞑ったままなのかもしれない。些細な音も、気配すら感ぜられない空間に、 は身を任せた。黒。暗い、色。いつも黒衣を纏っていた紅麗を思い出す。 そうして、つんと鼻腔を擽る埃っぽい臭いは、「この世界」で初めて目覚めた あの牢屋を思い出した。



 いつの間に、義姫や政宗を、この命を懸けて護ろうと思っていたのか。表情を面で隠して いつも気を張っていた異母兄弟は、憎いはずのを救ってくれた。双子の兄である 烈火と同じときに時空を超えたはずなのに、一人時空に取り残されて、気がつけば 本当に血がつながった兄とは3年も差が。だから烈火が花菱家に拾われ、3歳に なっていたときには、まだ自分は生まれたばかりの赤ん坊。そんなが、紅麗に拾われた。


 自分には炎術氏の才能は無かったけれど、憎き烈火にその顔は似ていただろうに、 紅麗は「仇」と言わず殺すことなく育ててくれたのだ。森光蘭の手に曝すことなく、 ただ生きる術と愛情を教えてくれた紅麗。が紅麗の為に命を懸けるのは、 この命を救ってくれたからだ。恩人だからだ。その他にどんな理由が要るというのだろう。



 義姫のために命を懸ける理由もまた、「この世界」での命を救ってくれたからだ。 力はあるけれど、誰も知り合いの居ない、現代の常識すら通じない世界で、確かにがここに居るのは 義姫のお陰だ。それが自分の願いを叶えるために、を利用したのだとしても。 それはそれで構わない。生き永らえさせてくれただけで、義姫には恩義を感じる。


 しかし、政宗はどうだろう。確かに、「この世界」で紅麗を探すのだというの願いを叶えてくれた。 ありがたい事だ。しかしながら、紅麗とは違う、義姫とも違う。自分の命を救ってもら った訳ではない。それなのにどうして、自分は政宗を命を懸けて守ろうとするのだ ろうか。問うてみても、明確な理由など分からない。ただ、義姫に薬を与えられて考えたのだ。 もしもこの人が死んだらどうしようか、と。自分は冷静で居られるのかと。 だって、義姫に与えられた「政宗の下女になれ」という命令の中で知ってしまった。 政宗の手のひらはひどく心地が良いという事。低く、艶のある声で呼んでくれる自分の名は、 あまりにも甘美だということも。



 紅麗へ向ける恩と、忠義と家族愛。義姫に向ける恩、縋りつくような愛。政宗に向けるものは、恩でも 家族愛でもない。---------では、これはなんだ。この狂おしいほどの、衝動は何だ。 どうして、政宗のために躊躇いも無く薬を飲みこんだのだ、と。


 その答えを見つけることはできなかった。何しろ、が今まで感じたことのない感情だ。 すぐに名前を付けることなど不可能に等しい。けれど、何となく思った。政宗は、紅麗とはまた違った意味で 特別なのだろう。



「特別、か」


 口に出してみる。やけに、胸が温かかった。



『相変わらずじゃじゃ馬じゃの』
「虚空」


いつの間にか、寝転んだ自分の隣に一人の翁が立っていた。少し前、と政宗が紅麗を探しに 城下へ下りていったとき。悩んでいた政宗の前に姿を現した翁と同じである。虚空と呼ばれた 翁は、蓄えられた白髭を擦った。


「やけにボロボロだね」
『誰の所為だと思っておる』
「わたし?」


 はて、と首を傾げると、虚空は煤にまみれた服を手で払いながら口を開く。どうやら、の飲んだ薬を 八竜たちが浄化しているらしい。そのお陰での体は無事なのだとか。結構強力じゃからな、 後遺症までは面倒を見切れん。翁は息を吐きながらそう告げる。それにしても、八竜すべてとは 驚いた。父である桜火や一番最初に屈伏させた塁はわかるが、あの俺様の刹那までもが 一緒になっているとは。敵味方、主までも関係なく殺しかけるような刹那が。 まさかね、と苦笑すれば、同じように思っていたのか虚空も苦笑した。


「さて、帰ろうかな」
『うむ。早く起きてあの若き竜を安心させてやれ』



 そうか。政宗も竜と呼ばれる人間なのだ。親近感でも感じるのだろうか、やけに翁の口調が 優しいと思った。早く帰ろう。もしかしたら、政宗は泣いているかもしれない。他の人から見れば 強い人間でも、政宗は存外泣き虫だ。そうして、は政宗に泣かれるとどうしていいか分からなくなる。 うん、だから早く帰ろう。そう呟いて。



『また、必要になればわし等を呼べ。いつでも傍に居る』
「うん。じゃあ、また」






世界崩落音-Z








意識の、浮上。


 ゆるゆると重い目蓋を押し上げ、何度か瞬きを繰り返す。ここはどこだろうか、と 視線を彷徨わせると、丁度布を絞っていた政宗と目が合った。


「っ、!」
「・・・・まさむねさま?おはよう、ございます」


今何時ですか、と尋ねようとすると、急に大きな体が覆いかぶさってきた。


「わ、まさむね、さま?」
「ばっか、やろ・・」


 震える大きな身体。の首筋に顔を押し付け、政宗は静かに泣いていた。 冷たい水滴が首を伝う。ああ、やっぱり自分は、政宗が泣くとどうすればいいのか分からない。 腕を持ち上げ、ゆっくりと左手を大きな背に宛がった。


「・・・・ごめんなさい」


 の声が震えている。何度も何度も、「ごめんなさい」と呟く。それをぼんやりと 聞きながら、は恐らく政宗が泣いている理由が分からないのだろうな、と 思った。政宗か義姫のどちらかを傷つけるよりも、自分を捧げるほうを選んだ。 躊躇いも無く、薬を飲み込んだ。は昔からそうだ。それを政宗が嬉しいと 感じたことなんて一度も無いのに、むしろ守れなかったことが悔しくて、苦しくて堪らない、 のに。この少女はいとも簡単に政宗を傷つかせることをする。



 のことは好きだけれど。こういう自己犠牲の精神が、ひどく恐ろしい。 きっと少女は「自己犠牲」だなんて一つも考えていないのだろうけれど。むしろ、 これが当然のことだと思っているのだろう。それが、-------怖い。



「もう、止めてくれ」
「え?」



 どうかどうかどうか。もう、自分はに守られなければならないほど、弱くは無い つもりだ。4年前は違うのだ。こんな風に、政宗を庇って死にそうになるなど、 見たくは無い。だからどうか、と。顔を持ち上げての困惑した表情を見ながら、 願った。



「一人で何もかもを背負うのは止めてくれ。これからちゃんと、の話、聞くから」


ぽつり。左目から、透明な滴が滑り落ちる。


「一緒に、生きてるんだ。一方的に守られるのは、嫌なんだよ」
「・・・一緒、に」


 そう、一緒に生きていきたいし、政宗はもうこれからの人生で、以外が傍にいる ことなんて想像もできない。には、対等であって欲しい。今までのように守られて、 泣いて、悔しい思いしかできないなんて、嫌なのだ。所々つっかえながら、しかし ようやく言いたいことを告げると、はふんわりと笑った。


「わたしも一緒に、生きたい。政宗様と、一緒に」


 今まで、誰かの隣に並んだことなど、無かった。紅麗のことはその大きな背中を一心に 追いかけるだけであったし、麗(うるは)のメンバーとはそもそも守ったり守られたりする関係では なかった。それぞれに信念が、あったのだ。そのために、麗にいたのだ。 馴れ合いも必要なかった。己の掲げる信念だけが、生きる理由に必要で、誰かが隣に並ぶなど、 必要なかったのだから。



 でも、今は。この人と、一緒の位置に立って、生きて行きたいと思う。悲しませたくも、 苦しめたくも無い。政宗には、不敵に笑った顔がよく似合う。だから、今までのことを謝罪するために、 「ごめんなさい」と、何度も呟いた。



「ああ。--------助けてくれて、有難う。、生きていてくれて、ありがとう」



あなたも、ありがとう。もう今は、その言葉だけで十分なのだ。








<2009.10.16>






やっと通じ、た?でもまだ恋愛感情だとは気がついていない主人公です。 気づかせるのはあの、関西弁のおにーちゃんの仕事。それにしても、体内の毒薬 を退治してくれるなんて、八竜さんって白血球みたいだね!便利すぎるよ!!