ざあざあ、ざあざあ。雨が、降りしきる。その雨は、人の気配を完全に 消し去り、先ほど女が一人、「ある」部屋に入っていったのを誰にも悟られなくしていた。


しかし、青年の部屋は、その部屋の向かいに位置していた。障子の隙間からひっそりとその様子を見ていた 青年は、畳に寝転んで「その」部屋に動きがないか観察する。 入っていってから、もはや何時間がたっただろうか。それを知ることはできないが、 青年にとっては悠久にも思える時間だった。


恐らく、雨の気配に紛れて女は「彼女」に抱かれているのだろう。綺麗に整えた 髪の毛を乱して、「彼女」の愛撫にはしたない声を上げて。それを想像すると、「彼女」に向けて いいようもない怒りが湧き上がってきた。青年には身体を預けてすらもらえない 女の身体を抱ける、嫉妬。


それとともに、青年の口から熱い吐息が吐き出された。着物を乱す女を想像して、欲望を吐き出す と白濁に汚れる、武人の手。生温い温度に顔を顰めた青年は、もう一度「その」部屋を 見つめた。


---------先ほどと、変わりはない。


「・・・・っ喜多・・!」


青年-------成実は、女の名を小さく呼ぶ。呼んでも、幼い頃のように自分のところに来てくれない ことを知っていながら、なお。成実は、濁りきった眼をしてもう一度呟いた。


「喜多、」


__________政宗たちが帰ってくる、僅か三日前のことだった。





世界崩落音-T







「政宗様・・・!!良くぞご無事で!!!」


主の姿を幾十日かぶりに見た小十郎は、感極まって思わずその体躯を抱きしめた。ぎゅうぎゅうと 抱きしめられるその力強さに苦笑しながら、政宗は小十郎の背を軽く叩く。


「hey,小十郎。俺は大丈夫だ」


その言葉に小十郎はようやく離れると、一緒にいるはずの少女の姿が見えないことに気がついた。


「・・・政宗様、殿はどうなされた?」
「ああ、なら・・・・喜多に呼ばれて行ったぜ」
「そうですか、」


の事を思い出して思い出すのは、成実との会話だ。小十郎の中で僅かながらに形成されてしまった に対する不信感は、知らずのうちに顔の表情に出てしまっていた。


「小十郎?どうした、何かあったのか」



そう言われて、一瞬政宗に告げるか告げまいか考えた。件の少女は、政宗の一等近くに いる人間だ。少女が裏切ったとき、一番に被害を受けるのは主である、政宗。しかし。


「・・・いえ、何でもありませぬ」
「そうか?」
「はい、湯殿でも行ってきたらいかがです」
「・・・そうだな、そうするか」



ほんの少し疲れの見える顔で、政宗はそう告げると、湯殿に向って歩き出した。も ここにはいないようだから、小十郎が湯殿に着替えを持っていかなくてはなるまい。 主の背中を見つめながら、小十郎は辛そうに顔を歪める。


しかし。を疑っているといっても、本当にあの少女が密偵なのかは分からないのだ。 確かに出生云々、怪しいところを挙げればきりがない。政宗を危険から遠ざけるためにも、 忠告しておいたほうがいいのだろうが。


それを告げれば、政宗は烈火のごとく怒るだろうという事は、容易に予想がついた。 幼い頃から見てきていた主のことだ。「どうして信じない」と小十郎を叱咤するに違いない。 それが、怖いわけではない。そうではない、ただ、そんな簡単に告げて良いものか迷った。


(・・・そう、勘繰り過ぎるだけかもしれねえ)


政宗と同じように笑った成実を、裏切るわけではないが。あの時、身体を張って政宗を守ってくれた を、心の底では信じているのだろう、自分は。だから、少女が危険因子だと告げるには、 まだ早すぎた。





◆        ◆        ◆





城へ帰ってきて早々、は偶然出会った喜多とともに、義姫の部屋を目指していた。 久しぶりに「帰ってきた」場所は、行く前と少しも変わっていない。それにほんの少し安心しながら、 は数歩前を行く女性を見つめる。


「・・・喜多さん、痩せましたね」
「そうかしら?・・・・だったら、嬉しいわ」


女性にとって痩せることは何よりも嬉しいことですもの、と喜多は微笑して、の 歩幅に合わせる。


も、少し痩せたわね」
「・・・・・・まあ、旅でしたから」
「政宗様と、何かあったの?」



その問いは、ただの口から出任せではない。帰ってきた政宗と、の二人をつつむ雰囲気が、 喜多の記憶にあるものと変わっていたからだ。ぎすぎすした、というべきか。主にそれは 政宗から発せられていて、どうしてと目を合わせないのか不思議だったが。


「何も、なかったです」


嘘つき。

喜多の問いに、がふるりと目蓋を震わせていたのを、喜多は見ていた。 なにやら、話したくない事情があるらしい。それを何となく悟って、「・・・そう、」 と呟くだけに落ち着いた。


何かがあったを、今この場で慰めるのは簡単だ。政宗を命がけで守った、可愛い 。喜多は、妹分のようにのことを可愛がっているから。


(、でも・・・)


きっと、これから少女に強いることを、は一生喜多を許さないだろう。辛そうに顔を顰めて、 でもきっとは、選ぶ。必ずどちらかが絶望する答えを。


「ごめんなさいね」
「え・・・?」


思わず漏れ出たその言葉に、は瞠目した。目の前には泣きそうに笑う美女。「どうかしたのか、」 そう聞く前に、義姫の部屋の前に辿り着いてしまったため、完全に聞くタイミングを逃した。 後で聞こう、とそう決意し、は喜多の後ろに控える。


「・・・義姫様、連れて参りました」


どきん、と心臓が跳ねる。


「____________入れ」


久しぶりに聞いた、張りのある声。は自分の体が緊張と恐怖に跳ねるのを必死に押しとどめて、 拳を握り締める。何を言われるのだろうか。もしかしたら、政宗と外に出たことを怒っているのかも しれない。


そうやって悩んでいるの姿を、喜多は見下ろした。ゆるゆると足元から這い上がる、 罪悪感。それを無理やり押し込めるために、先日義姫に抱かれた際に付けられた、 鬱血痕に触れる。


-------------そう、私は。裏切れないのだ。絶対に。


唇を数瞬噛み締めて、喜多は障子を開け放つ。



「______________待ちくたびれたぞ、



そこには、肘掛に頬杖を付き、尊大な様子でこちらを見遣る義姫の姿があった。







<2009.8.8>





作中、成実→喜多表現があったことをお詫びします。