「はははは・・・・まじつかれた」


 げっそりした顔で呟いたのは成実だった。心底疲れ切ったような、飽きたような 気持ちを声に乗せて、けれどもその両手は敵を屠ることに余念がない。 やはりなんだかんだで、彼は根っからの武士なのだろう。


 そんなことを頭の隅で考えながら、 は敵からの攻撃を避け続ける。いつまでこの無限地獄を味わえばいいのか。 はこの中でも一番体躯が小さいこともあり、そろそろ体力の限界にたどり着きそうだった。 それでも尚諦めずに、大したダメージを与えられない攻撃を繰り返しているのかというと、 ここに仲間がいるからだ。政宗がいて、小十郎がいて、成実がいて。幸村がいて、佐助がいて、 市も、その夫である長政もいる。だから挫けずに立ち向かっていられるのだ。



 が麗(うるは)にいたころの同僚が見れば、人格を疑われるかもしれない。あの頃のは 紅麗以外どうでもよかったし、興味もなかった。麗の同僚には確かに気を許していたかもしれないけれど、 それでも紅麗と天秤にかけると簡単に切り捨てられた。他の人間に言えばそれは、が 冷血人間だからだ、と罵られるのかもしれないけれど。言い方を変えれば、それほど 紅麗に重きを置いていたということで。



 だから、紅麗のいないこの状況で、敵に立ち向かっているという状況はとても驚いたのだ。 そう、驚いた。光を抜ければ見知らぬ地に立ち尽くしていたことも、すぐそばに 己と烈火が倒したはずの、憎い男が立っていたことも。数分前までは本当に小さな 少女だったはずの人間が--------年を取っていたことよりも。


 ずっとずっと驚いたのは、その少女の、ありかた。












大切なその一言が言えない-]








 来たわね、と馴染みの竜がすぐそばで囁く声。何のことだろうかと首を傾げる前に、視界を真っ黒なものが覆う。 敵か味方かその判断を下す前に、はこの衣服の主を知っているということに気が付いた。 足元までの黒衣が、ひらひらと、ゆらゆらと、揺れる。この世界、いや、この時代には決してありはしない 材料で作られた衣服。それこそがこの世界に初めて来たときに身に纏っていた------ 服と同じ性質の、よう、な。



 うそだ。

 そう、うそにちがいない。
 こんな「幻想」。わたしはそこまで追い詰められているのか。


 それとも森光蘭が、わたしに嗾けた敵なのだろうか。それこそ悪趣味だ。あの人をお前なんかが 具現化しようなんて、この人を、このひと、を。






 ああ。ああ。声までもそっくりだ。

・・・・・・・すまない、遅くなった」








あ、あ。







「く、れい、・・・・・・・・さ、」


 ずいぶん前に、彼の存在は諦めたはずだった。だってこの世界に紅麗はいない。 ここで暮らし始めて、何年も経って、ようやく受け止めた事実のはずだ。 それなのにどうして、彼はわたしの決意を揺るがせてしまうのだろう。ぐちゃぐちゃに、 して、泣き叫びそうに、縋りつきたく、なってしまう。諦めて、この世界で生きることを、決意して。 それには、森光蘭の存在を消さなければ-----------そう、森光蘭。


 今すべきことは何か。ふとそう考えた。これは、この人は確かに紅麗だ。けれども 今はその存在に安堵して、涙を流す時間ではない。は頭を振って、前を見据える。 紅麗が目を見張ったのが見えた。


「紅麗様、森光蘭は、生きています」
「・・・・・・そのようだな」


 若々しいその肉体に、現代での最後の戦いを思い出したのか、紅麗は低い声を上げた。 どうして森光蘭がここにいるのか、そんな説明はまたあとでいい。そんなことより、 まずはあの憎い男を倒すこと、それが最優先事項だ。周りを見回したところ、 光蘭が命を奪った紅も、己の部下であった磁生も、いる。せっかく辛い別れに 終止符を打ったというのに、本当にこの男は碌なことをしない。


 こみ上げてくる怒りをそのままに、紅麗は黒い靄の発生源にいる男女の姿を見て、 一瞬目を見開いた。男女の、特に男の周りに張り巡らされているのは、現代で 烈火が使っていた防御用の----円(まどか)と同じ技ではないか、と。この中で己を除いて 火竜が使えるのは、烈火の妹ののみ。まさか、と思うが、の二の腕に目を遣ると、 見覚えのある火竜の名が書いてある。記憶にあるものと若干順番が違うが、それは 気にするところではない。重要なのは、が、火竜を使えるということ、で。


 この世界に来て間もない紅麗ではあるが、さすが一癖も二癖もある麗の連中を従えただけはある。 この中にいる人間で、誰よりも状況判断は早かった。そして、勝利を確信するのも。


、」
「はい」
「・・・・・・・・八竜の同時召喚は、できるか」


 そう、現代で森光蘭を倒したのは、烈火の八竜同時召喚によってもたらされた力。 詳しく言えば桜火によって火竜とされた柳の治癒能力にあったのだが、どちらにしろ 八竜の同時召喚は、森光蘭を倒す上で必須。そしてそれができるのは、のみ。 それを僅かな言葉の中で悟ったは、戸惑いを隠さずに、けれどもしっかりと頷いた。


「できるできないじゃなくて、・・・やり、ます」
「・・いい返事だ」


 その会話を聞いていたのだろうか、突如その空間に出現した翁は、ゆっくりと、けれども しっかりとの目を見据えた。


「八竜の同時召喚、そのためには火竜の順番を逆から書かねばならん」


 烈火はその理に逆らって、「正しい」順番で書いたわけだが、それは烈火のように体力がある人間が するからできただけのこと。は自分のスタミナを良く分かっている。だからその理に逆らうようなことはしない。 虚空の言葉にこくりと頷いた。


「それから、八竜召喚といっても------もうすでに、塁は出てしまっている」
「あ」


 それを指摘されて、は口元を押さえた。紅麗は何の事だか分かっていないのか、 を問い詰めようとするかのようにじっと見つめてくる。


 そう、塁は、精神体である森光蘭を実体化させるために、すでに召喚した後だった。 今は塁という実体化した入れ物に入れてあるので、森光蘭へと攻撃が届くようになっている。 だけれど、それ自体がこの作戦のネックになろうとは。八竜召喚は、その名の通り、 八竜でないと意味がない。塁の力の全てが、森光蘭の精神体を実体化した入れ物に押さえつけること だけに集中しているとすれば、八竜召喚には一匹足りないのだ。


 どうするのか、それを長く考える時間もなかった。紅麗の出現に驚いた森光蘭は 、すでに冷静さを取り戻して、いや、むしろ殺意と憎しみを増幅させて、今にも襲ってきそうな雰囲気を漂わせている。 それを視界に入れた紅麗は、ゆっくりと、一歩一歩歩みを進める。


「くれいさま!」
、八竜じゃが、一人心当たりがおる」
「・・・・え?」



 そういうと、虚空の視線はりんたちを気にしながら磁生と戦っている政宗へと、向けられた。



----------------まさ、か。
いや、でもしかし。



「いや、そのまさか、じゃ」



 の頭の中に、一つの可能性が浮かび上がる。けれどもそれをすぐに掻き消して、 虚空を見下ろした。相も変わらず、戦況は不利なまま。 ずっと、痛みも死も感じない敵たちと向かいあっている。けれども、まさ、か。


「独眼竜!!!・・・・・・・・・・こちらへ」



 翁の声は、存外に大きく響いた。敵も味方も動きを止め、呼ばれた張本人である政宗は 磁生へとバサラ技を食らわすと、すぐさまと虚空のもとへ向かう。



「なんだ・・・・じいさん。今は、仲良くおしゃべりを楽しんでる状況じゃねえぜ」
「わかっとるわい!」


 まさか、まさか、ばかな。


「だがしかし、


の思考を読んだ翁は、さも面白そうに口元を歪めて、こう言ったのだ。


「竜は竜じゃないかね?」と。







<2010.9.30>








空気だなあ・・・・いや敢えて誰がとは言うまい。