書いて、書いて、書いた。何度も何度も字を書き直し、なぞり、消す。 ・・・気に入らない。ぐしゃぐしゃに紙を丸めて放ると、畳の上を白い屑が転がった。 もう一度、左手に全神経を集中させて、文字を綴りはじめる。


(拝啓、)


 何を書こう、何を聞こう。
 元気にしていますか?わたしは元気ですよ?こっちはもう若葉が咲きはじめた頃で-----。 喜多に勧められて手紙を書き始めたのものの、何を書けば良いのか分からない。 そもそも手紙を書くという行為すら初めてなのだ。筆の柄を顎に当てて、思考の海に沈みこむ。


(あ、そういえば・・喜多さんは、伝えたいことをそのまま書けばいいって言ってたっけ)


 ゆっくりと、手を動かす。先程よりは見れる字になった。さすがに政宗の達筆さには叶わないが、 最初に左手で書いた頃と比べれば雲泥の差だろう。筆をおいて、背中から倒れこむ。 障子から漏れる微かな淡い光が、手紙の裏側を透かせて見せる。
 拝啓、の後に続くその人物の名前を、優しく指でなぞった。


「ふふ、」


-----------政宗様。貴方に、この気持ちが伝わりますように。





大切なその一言が言えない-V








 書きあがった手紙を持って、部屋を出た後、は炊事場に足を運んだ。 昼過ぎなら、喜多は食事の後片付けをするために、その場所にいるだろうとの長年の習慣と 勘だった。


 離れを出て廊下を歩いていると、やはり戦で男がいないからか、城の中は以前のような 活気は無い。始めのうちは悲しかったものの、しかし数ヶ月も過ぎれば慣れもする。 それに、女手と残りの男たちで城を守って行こうとする気概は、尊敬した。 いつまでもいじいじと悩んでいられないという気にさせられるのだ。そして、の尊敬する 人物の一人を炊事場で見つけた。


「喜多さん」
「あら、書けたの?」


 皿を洗う手を止めて、女は振り返る。喜多はの手にある紙を見つけ、ふんわりと 笑う。政宗からの手紙を嬉しそうに読むくせに、自分では決して書こうとしない に、手のリハビリと称して手紙を書かせたのだ。勧めてから数週間は経っているが、 満足そうに口元を緩めるを見るに、綺麗なものが書けたのだろう。


「喜多さんは、成実さんに書かないんですか?」


 目を瞠る。心底不思議そうに首を傾げる妹分に、喜多は苦笑した。考えたことも無かったのだ。 義姫と政宗たちの軋轢が大分緩和され、喜多と成実は恋仲となった。成実に慕われていることは 幼い頃より知っていたから、その気持ちに応えられるということが喜多には幸せに思えた。 愛を語らずとも、幸せなのだ。そう、それだけで。


「でも、成実さん絶対喜ぶと思いますよ」
「そう、かしら・・?」
「はい、それはもう」


 何やら自信ありげに頷きながらそう語るに、笑みを浮かべる。


「そうねえ、書いてみようかしら」


 でも、早く帰ってきてくれると嬉しい。
 喜多は後片付けがまだ終わらないため、を義姫の部屋に向わせた。義姫と政宗も 手紙のやり取りをしているのだ。の手紙と、義姫の手紙、そして自分の手紙を 一緒に出そう、と知らず軽くなった気持ちで後片付けを再開した。





「失礼します、義姫様ー?」


 部屋の主は、机に向って何やらせっせと書き物をしていた。扇を弄びながら、つらつらと 文字を綴る。その扇は、今までに見ていたあの立派な桜の文様ではない。紫陽花の花びらが シンプルに描かれただけのものだったが、桜の扇よりはずっといいい。あの扇は、何故か 嫌な予感がしたから。それに、扇を変えてから義姫は幾分か明るくなった気がする。


か・・少し待っておれ」
「はい」


 部屋に入り込むと、義姫が金平糖を出してくれた。最近、この部屋に来ると いつもお菓子で餌付けをされる。甘いものは嫌いでは無いけれど、なんだか小さい子供を 相手にされているようでくすぐったいのだ。断ると残念そうな顔をするから、は 遠慮せずにありがたく受け取る。


 義姫は再び机に向った。そろそろ喜多も仕事を終えてくる頃だろうか、と考えていれば、 案の定女が部屋に顔を出す。


「あら、またお菓子をいただいたの?」


 なんて言う喜多は、完全にの母親だ。今まで兄や姉のような人はいたものの、 母親は居なかった。なんだか新鮮な経験である。喜多にお茶を入れてもらい、完璧に リラックスムードだが、これが伊達家の最近の日常だ。片や当主が遠い地で頑張っているというのに、 自分たちばかり楽しむのもどうかとは思うが、城全体が沈み込むよりはいいだろう。


 政宗たちも早く無事城に帰って来れたらいいのになあ、と思いつつ茶を啜る。 気づけば、外は日が翳っていた。


「喜多さん、わたし洗濯物取り込んできます」
「ええ、頼むわね」



 待つことしかできないのだから、せめて自分でできることを。







◆           ◆           ◆






 一瞬の、悪寒。何故かは知らぬが、離れに洗濯物を取り込みに戻ると、寒気がした。 気のせいだろうか。辺りを見渡しても、不審なものや人物など見あたらないし。 鳥肌の立った二の腕を擦りながら、は地面に足をつける。



「っ、・・・!」


 何だこれは。何だこれは。何だこれは。

 一言では言い表せない、”何か”。が足をつけた地面の底を、何かが這いずり回っているような 、気配がした。やばい、と頭の中で警鐘が鳴り響く。早く、ここから立ち退かなければ。


「ゃ、!」


 後ろに下がろうとしたの足に、黒い影が纏わりつく。どこから、なんて答えは 見ればすぐに分かった。地面の底から、黒い触手のようなものが生えているのだ。 それも、がいる場所のピンポイントに。深く考えずとも、この手は自分を狙っているのだと 一瞬で理解した。


 掴まるわけにはいかない。何とか練習した左手で火竜の名前を書こうとする。 しかし、利き手ではない左手で画数の多い八竜の名は大変なタイムロスだった。


(引きずられる・・・!)



 目を瞑る。
 数瞬後、何かに飲み込まれる感触がした。そう。きっと、自分はあの黒い手に引きずり込まれたのだ。 意識の途切れるほんの少し前。その暗闇と、気配に。何故だか懐かしいという 思いが浮かんだ。






<2009.11.20>







一日三食設定。