彼が可笑しくなったのはいつからだったろう。ここ最近のことではない。遥か、遠い昔だった
ような気がする。出会った当初は本当に優しかった。照れ屋で意地っ張りで正義が大好きで。
正反対の市には、時々きつい言葉を浴びせかけてくることもあった。けれど、市に
笑いかけてくれることがあった。花をくれたこともあった。
市は、確かにそんな長政が好きだったのだ。
けれど、今の長政は森光蘭という男の精神に乗っ取られて、彼には似合わぬ所業を
繰り返している。まず男は、城の側女に手をつけるようになった。権力に物を言わせ
無理やり女を奪った日は、城から耐え難い嬌声が聞こえてきたりもして。そんな日は、
ただただ耳を塞いだ。
聞きたくない。長政様、やめて。
そればかりではない。城にいる人間だけでは飽き足らず、男は領地からも気に入った女を
召し上げて、犯した。泣き叫ぶ女の声が聞こえてくる日は地獄だった。
そういう時には耳を塞いで、できるだけ部屋から遠ざかって時間が過ぎるのを待っていたけれど、
ある時偶然部屋の中を見てしまったのだ。
部屋の中は、血だらけで。「ぅ、・・・」市もあの信長の妹というだけあって、
血に耐性がなかったわけではない。市自身、戦場に何度も出たことだってある。
しかし、今まで市が見てきたそれらの修羅場を通り越して、部屋の中は異常だった。
召し上げた女はすべて裸で、血を流している。身体の一部分が欠けたものもあった。
何より恐ろしかったのは、女を組み敷いて嗤う男が長政ではなかったということ。
横顔は何よりも卑しく、下品で、醜い。長政の顔ではない。ただの、男。
ああ誰か。誰か。
一度、長政の中にいる男に向って武器を向けたことがある。男は自分の身の危険を感じると、
すぐに人格を本来の長政に変えて引っ込んでしまった。そこには、怒りで武器を向けた女と、
何がなんだか分からぬ状況に困惑する一人の男のみ。長政は愛する女に武器を向けられたことに
傷ついた表情を市に向ける。
違うのだ。あなたに、向けたかったわけじゃあない。
それ以降、市はどんなことがあろうとも”長政”に武器を向けるのを止めた。
己には男を倒すことはできない。
そう、だったら。誰か確実に男を倒せる術を持つ人間を、
呼ばなくては。
そうして必死に探した結果、異世界の住人であるを見つけた。
あちらの世界で森光蘭を倒したのは兄である烈火と紅麗だったけれど、烈火は
あちらの世界に留まっているために手出しをすることができず、紅麗は炎術士としての
力を既に失っている。だから、八竜の力を宿すを、時空流離の技から市の力で逸らしたのだ。
その話を聞いて、は改めて決意を固めた。ともに戦おう、と告げると、市は
真剣な眼で頷く。
己をこの世界に連れてきたのは市だと告げられて、何を思わなかったわけではない。
己の世界を形作っていた紅麗と突然切り離されて、絶望し泣いた夜も幾日もあった。
けれど、今は確かに政宗と共に生きたいと願っていて、それがあの森光蘭に
妨げられるかもしれない可能性を聞いて市を責めるわけには行かない。自惚れかも知れないが、
八竜を宿すがこの世界に来なかったら、森光蘭に欲望の赴くまま、世界は支配されていただろう。
今のは、決してこの世界を放っておけない。政宗も、義姫も喜多も小十郎も
成実も、生きていて欲しいと思う。
「なんとか、しなくちゃ」
唇を噛む。
それにしても、市と共に森光蘭を倒すと決めたのはいい。けれど、いきなり奥州から
消えた形になっているだろうから、喜多たちは心配しているかもしれない。そう告げると、
市はゆるゆると首を横に振る。
「心配しないで、書簡を出したの」
「・・・抜け目ないね、市」
「『森は預かった。取り返したくば、浅井まで来られたし』って書いたわ」
「ちょ・・・!それただの誘拐犯じゃん!」
ガッデム!と空を仰ぐ。市は何のことだか分からない、というような顔をして
こちらを見つめている。ああ、政宗様が早まらなければいいけれど。
大切なその一言が言えない-X
「浅井の野郎・・・・」
呪詛でも吐き散らすかのように、政宗の唇から低音が放たれる。辺りにいた足軽は
その毒々しいオーラに首を竦め、身を寄せ合ってがたがたと震え上がっている。
ご愁傷様だ。だけれど、いい加減止めないと彼らが倒れてしまう可能性がある。
一つ溜め息を吐いて、成実はゆっくりと立ち上がった。
「ぼーんっ」
「アア゛?」
怖すぎるこの男。
が浅井に連れ去られたと聞いて、ずっとこの調子だ。確かに、今のは
右手が満足に使えない状態だから余計心配しているのだろう。そう冷静に観察する
成実も、実を言えば先ほどからの安否を気にしている。
「成実・・・浅井に乗り込むぞ」
ついて来い、と真剣な眼で政宗は告げる。了解。その返事に満足そうに頷いた政宗を、
複雑な眼で見つめる一人の男。------小十郎だ。
つい最近戦が終わったばかりだから、政宗の身体を心配しているのだろう。
けれど、を放っては置けない。無表情を貫いているが、小十郎の思考はひどく分かりやすかった。
「待ってよ、竜の旦那」
「何だ、猿」
「猿って・・・」
政宗の言葉に苦笑する、猿飛佐助。その無駄に美麗な顔は、戦が終わって政宗に
タコ殴りにされて腫れている。何か腹の立つことがあったのだろう。
「ちゃん助けに行くのに三人で乗り込む気?」
「・・・・・・それがどうした」
「無茶振りでしょ。浅井って言えば、ここ最近悪い噂しか聞かないし、あっちが
どんな力持ってるか分からないんじゃない?」
「うむ、そうだな。同盟も結んでいることだし、某も協力するでござる」
「本当はちゃんを心配してるからって言えばいいのにー旦那」
「なっ・・!!た、確かに心配はしているが、でもそ、それだけではなく・・・」
と、顔を赤らめて下を向く真田に、政宗は今にも飛び掛りそうなオーラを放つ。
「梵ー!こらこらこら!」
「放せ成実!アイツはもう一回ボコらねぇと気がすまないんだよ!」
のことに対しては、本当に心の狭い男だ。暴れる政宗の身体を拘束しながら
呆れた目を向ける成実自身、喜多が絡むと沸点が低くなるということを綺麗さっぱり
無視している。
「ゴホン!政宗様、とにかく身体を休めて、一日も早く殿を救出せねば」
「あ、ああ。そうだな、小十郎」
鶴の一声で途端に大人しくなった政宗は、空を仰いだ。
(待ってろよ、)
◆ ◆ ◆
「・・・?」
少年が、後ろを振り向く。先ほどまで確かにそこにいたはずの少女の姿は、
闇が邪魔をして見えなかった。気配すらない。少年は、目の前を歩く男を呼び止める。
「紅麗」
その名に振り返った男は、片方に火傷の痕を残した、けれども確かに美しい容貌をしていた。
<2009.11.23>
何かギャグっぽくなってしまったorz
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