とりあえず朽木さんには、明日の朝にでも聞くことにしよう、と(逃げたわたしは)その日は 家に帰ることにした。大人なんてそんなものだよ。皆狡賢いんだ。かっちゃんは そんなわたしの態度に、少し不機嫌になったようだった。 


(仕方ないよ、わたしはかっちゃんとは違う)


そう、朽木さん一人のためだけにこの世界に戻ってきた海燕と、ただの人間であるわたしとは 違うのだ。何が?そう聞かれれば若干詰まってしまうのだけれど、主にあれだ。 ”覚悟”というやつ。



海燕は朽木さんのためにここにいるのだから、もちろん朽木さんのために何かをしたいのだと 思っている。コレはわたしの予想だけれど、その命をも辞さないぐらいには、覚悟があるのだろう。 それに対してわたしは、と言えば。はっきり言うと、怖い。ピンポイントにあれが怖い、とか 虚が怖いとか、そんなことではなくて、死神と関ること自体が怖いのだ。だから死神に わたしの存在を知られるのは嫌だし、できれば海燕の存在もばれて欲しくはない。



普通に、生きさせて、欲しい。





ピンポーン



朝の騒々しさを妨げるような無機質なチャイム音に、化粧する手を止めたわたしは、 急いで玄関に向かった。誰だ、このくそ忙しい時に来訪なんて。思わず心の中で 口汚く罵ってしまったけれど、それは扉を開けて来訪者の正体を知るとぴたりと止まった。



「・・・いし、石田くん・・・?」
「お早うございます」
「え・・・はあ」



何故ここに石田くんが。知らず固まると、石田くんは小さく頭を下げて、わたしを見つめた。 眼鏡から覗く漆黒が、どこか確固たる決心を見せ付けているようである。とりあえず 外ではなんだと部屋に招き入れれば、勝手知ったる他人の家、とでも言うように ソファに座り込む。



「珍しいね、うち来るなんて」
「ええ、まあ・・・・・どうぞ、準備続けてください」
「え?あ、ああ、うん」



その言葉に遠慮なく化粧を続行するが、その、あまり見つめられると化粧しにくいと言うか。 何か言いたいことがあるのなら言えばいいのに。はぁ、と溜め息を吐き、テレビの 時計を確認する。よし、まだ時間的に余裕があるようだ。石田くんの話を聞くために 化粧する手を止め向き合うと、わたしは口を開いた。



「どうしたの?」
「・・・・・・・・・お願いが、あるんです」
「お願い?」



ひどく真剣な顔で、石田くんは告げる。普段の石田くんは、誰かに頼るということをしない。 勉強も、運動も、家事も、全て完璧にこなすことが出来る。それが少し寂しいと いうものもある。けれど、こんな風にいざお願いされると、戸惑ってしまうのだ、恥ずかしながら。 そんな気持ちを隠すように、冷静を保った顔で「なあに」と尋ねる。



「----------”あれ”を、僕に貸して欲しいんです」



石田くん自身も緊張しているのか、膝の上に置いた拳が、落ち着かないように何度も握られる。 あれ。わたしと、目の前の彼に共通する、あれ。


「・・・どうして」


声が震えた。どうして、なぜ、なんで。あ  れが必  要 なの。


「許せないんです、自分が。負けた自分が」
「っ、でも、-------力、失っちゃうよ」


君の持つ力は、必要なんでしょう。あの人のために。分かっているの、と 小さな声で呟けば、石田くんはただ、頷いた。その真剣な表情に、雰囲気に、 彼はもう何かを決めてしまったのだと気付いてしまう。心なしかずきずきと痛む頭に 、ゆっくりと手をやった。


「分かった。出してくるから、ちょっと待ってて」


そう告げるとソファから立ち上がり、物置と化している客間へと向かう。クローゼットを開けば、 隠す素振りも見えない箱が最初に顔を出す。いや、わたしが置いたんだけど。 何やら結界のお札が貼られた白い箱を取り出すと、両手で抱えてリビングへ移動した。


「はい、これ」
「有難うございます」



その箱を受け取った石田くんは、ますます顔が強張った。そんなに緊張しているのなら、 こんなもの求めなければいいのに、と思う。


「・・・・なんで、さんがこれを持ってるんでしょうかね」
「さあ?」



心底不思議だと言わんばかりの顔で、石田くんはそう告げた。その問いに答えたいけれど、 生憎わたしは正しい答えを持っていない。その前にあの人は死んでしまったのだから。 ただ持っておきなさい、とそう言って。



「わたしには、一番必要のないものなのにね」
「え?」
「んーん。なんでもない」



多分、だけれど。あの人が、他でもないわたしに”これ”を預けたのは、わたしに 力がなかったから、才能がなかったから、だと思う。”これ”は力あるものが使えば、 多大な能力を手に入れる代わりに、すべての霊力を失う。まさにハイリスク・ローリターンだ。 きっと、あの人はわたしがこれを求めることなど一生ないと思っていたのだろう。そして それは当たっている。わたしが求めることは今まで一度もなかった。 だけれどその代わり、石田くんが、求めた。




もう用は済んだ、とでも言うように、すっとソファから立ち上がった石田くんを 見送るために玄関へと向かう。重そうに肩にかかった、先ほどの箱とは別の鞄にようやく気付く。 聞けば、どうやら今日から学校を休むらしい。こんな朝からわたしの家を訪ねたのはそのためだ、 と言っていた。恐らく、これからどこかで修行でもするのだろう。


「ねえ、”雨竜”くん」
「--------何ですか、さん」



何年か振りに呼んだ名称に、石田くんがピクリと反応する。



「今、何か起こっているの?」
「・・・・分かりません」
「じゃあ、・・・今も、何か見える?」



-------雨竜くん、また何か見えるの?

わたしには見えない何か。そこに在るもの。あの人を殺した、もの。


、これは、お前が持っておきなさい」


飛び散る血、それを見つめる君、目を反らした、わたし。


「辛いな、認めてもらえんというのは」


異能、異形、異物。全てを受け入れようとして、全てに拒まれたひと。




ゆるり、と首を振る石田くんに、わたしは「そう」とだけ答えた。






小暗し 犯し をごころも無し





学校に着き、空いた時間にでも朽木さんを捕まえてみようと思っていれば、朽木さんは 学校には来ていないようだった。いや、ただの欠席ではない。学校での朽木さんの存在そのものが 消えてしまっている。驚いて名簿を見れば、『朽木ルキア』の名前はなく、『桃原鉄生』の 文字。先ほどなんかは、間違って朽木さんの名前を呼ぼうとしてしまったために、桃原くんに 怪訝な目で見られた。



どういうことだろうか。今朝の石田くんといい、朽木さんといい、何かあったとしか 言いようがない。ああ、どうしようか。