八月も半ば、もう夏休みも終わりに差し掛かった頃。わたしは、突如風邪を引いてしまった。 最初はただの夏風邪かと思っていたのだが、かっちゃんが告げる過労という可能性も否定できない。 かっちゃんは、以前わたしが鬼道を放ってから、俄然やる気を出してしまったのだ。


最近妙に虚との遭遇率が高くなってしまって、道を歩けば霊を襲っている虚に、 鬼道を放てとかっちゃんは言ってくる。お陰で、命中率が上がってしまった。 わたしには虚は見えないと何度も言っているのに、もうかっちゃんに掛かれば何でもありだ。 一応一般人を目指して生きてきたつもりなのだけれど、すでに手遅れな気がしないでもない。


そんなわけで、わたしは夏風邪を引いてしまったのである。熱がなかなか下がらないために、 ついには病院を訪れることにした。普段は乗らないタクシーに乗り込み、 辿りついたのは、もう何年も通っていない空座総合病院。この病院は、空座町では 一等大きな施設だ。


病院内に足を踏み入れるとつん、と病院独特の匂いが鼻を突く。好きなんだよね、病院の 匂いって。何か清潔感溢れてるというか、無機質っぽい、生活感の無い匂いが。 受付を済ませて、長椅子に座って順番が回ってくるのを待つ。予約していなかったために、 少し待つことになるだろう。それまでの時間を費やすために、テレビをぼんやりと見つめる。 丁度、い○ともが始まった時間だ。



さーん。さんー」


『おい、!呼んでんぞ』
「ん?・・・あ、はーい」


いつの間にかテレビに熱中していたらしい。看護師さんが呼んだことに、かっちゃんが教えてくれるまで 気付かなかった。ゆっくりと立ち上がると、若干の眩暈。


「う、」
『・・・大丈夫か?』
「んー」


ずきずきと痛む頭に手をやりながら、看護師さんの元へ歩いていく。


さん、こちらです」


わたしより少し年上、に見えるクール美人な看護師さんが診察室の前に立ち、ドアを開ける。 軽く会釈をしつつ部屋に入ると、目の前にはクリーム色のカーテンがゆらゆらと揺れていた。 ッタン!と、小さく響いた音源に眼を向けると、先ほどまで開いていたスライド式のドアが 閉まっている。あれ、こういうのって、看護師さんも一緒に入ってくれるんじゃ なかったっけ?


医師と二人きりにされて、若干戸惑いつつもカーテンを潜った。


「・・・・っぶ!!」


吹いた。それはもう、目の前の男が思わず顔を顰めてしまうぐらいに。 眼鏡の奥にある、切れ長の目がすぅっと細まる。すいませんすいません・・・! だって何でこんなところに・・・!


「りゅ、竜弦さん」


わたしの記憶違いでなければ、竜弦さんは確か、ここの院長であったはずだ。 それは知っていたのだけれど、まさかわたしの診察をしてくださる先生が竜弦さんだとは 思いもよらない。もしかして看護師さんが入ってこなかったのは、 竜弦さんからの命令だろうか。それにしても、会うのは何年ぶりだろう。 立ち竦んだわたしを、じ、と見上げてくる。


「・・・・座れ」
「う、はい!」


竜弦さんは大きく嘆息した後、わたしが事前に記入してあったカルテに目を滑らせる。 わたしはどうしたらいいのか。竜弦さんは一言も喋らなくて、カルテを捲る音とわたしの 息遣い、そしてドアを隔てた廊下側から聞こえる看護師さんたちの話し声だけが 部屋の中に響いている。


そうして、数分間経ったのち。


「雨竜に、散霊手套(さんれいしゅとう)を渡したらしいな」


何かを書き終えた竜弦さんが、ようやくそう切り出した。立派な名前に、一瞬何のことを 言われているのか分からなかったが、『雨竜』くんに渡したといえば、あれしかない。


「・・・・渡しました」
「・・・・・・・・ッチ・・」


正直に答えれば、舌打ちされました。何かオーラがぴりぴりしてるし、目が睨みつけているようだし、 すっごく怖い。


「何で渡した?滅却師は先代で終わったと、お前には言ったはずだが」


椅子に凭れ掛かり、竜弦さんはその長い足を組む。わたしは目を見ることが出来ずに、 視線を床に落とす。かつん、とシャーペンで机を叩く音。恐らくイラついているのだろうな、 と思う。


「・・・彼が、求めていたので」


--------最低だ、わたし。こんな理由、ただ石田くんに責任を押し付けているだけで、 何の解決にもなってはいない。目を伏せれば、頭を捕まれる感覚。


「痛い!いた、-------っ!」


ぎりぎり、ぎりぎり。弓を引くその握力で、思い切り頭蓋骨をつかまれる。 まるでこのまま握りつぶされてしまうのではないかと、危惧してしまうぐらいに。 そのまま顔を上げさせられると、竜弦さんがわたしを静かな目で見下ろしていた。 痛みと、冷たい目で、知らず目に涙が溜まる。


「お前は、アイツに--------負い目が、あるからな」
「--------------!」


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

血まみれになったその身体を抱えて、少年はひたすら謝罪する。


「謝らないで」とは、言えなかった。

「謝らせて」と、言いたかった。けれど、


こわくて、なきたくて。


分かってる、分かってるから。だからお願い。


そんな目で、見ないで--------。



あの少年と、同じような顔をして、目だけは冷たい氷のよう。無言で責められているようだと、 思った。竜弦さんではなく、彼を通した向こう側にいる、雨竜くんに。


唇を噛み締めると、それを見た竜弦さんは、ようやくわたしの頭を離してくれた。 とにかくいきなりだったために、今は状況が飲み込めない。そもそも、わたしはここに 何しに来たのだっけ?困惑の目で竜弦さんを見つめると、たった一言、


「ただの風邪だ」


といって先ほどまでのことをなかったことにしていた。それはわたしとしても有り難かったために、 一つ頷くだけにする。だが、長時間掴まれていた為か、頭が未だにずくずくと疼いているようだ。 これは決して、風邪の頭痛だけではない。


これで診察は終わりらしく、わたしはようやく椅子から立ち上がった。何だか、先程の応酬で 余計に熱が上がった気がする。ふらついたわたしの後ろから、竜弦さんの声。


「あいつが帰ってきたら-------まとめて絞ってやる」


それは、恐ろしい地獄逝き宣言。






妖異 宵鳴き 夜明けを探せ







(あれ、熱下がって、る?)
(あの男の力技が効いたな)
(うそー・・・。あれで治せるなら、もうこの世界医者要らないよ)