今日の授業が終わるとともに、飛び出して行った野球部メンバーを見ながら、千代と一緒に教室を出た。 元気だねえ、野球部。というか若いっていいよね。あたしも昔に戻りたいよ。今でも 童顔だから変わらないって磯辺さんは言うけど、貴方だって29歳には見えませんよ。 っと、いやいや、違う違う。そんな話じゃなくて、野球部の話だよね、うん。


、ついたよー」
「ここでやってんの?」


野球グラウンドなのに草がめっちゃ生えてるんですけど。というかあれ、ここって硬球になったんだ?


「今年から硬式になったんだって」
「ふうん」


千代の話に相槌を打ちながら、あたしは学生時代を思い出していた。確かに、あたしが野球を やってた頃は西浦は軟式だった。あの頃は人数がすっごく少なかったのに、今年から 人数は足りてるらしい。すでに練習を始めてる野球部員を見遣る。


、見学すること監督に言うから、こっち来て」
「はーい」


監督かあ。確か千代の話によるとすごい人だったよね。あたし挫けるかもしれない、なんて そんなチキンハートを千代に曝す気はないけれど。千代の後について行き、監督と思われる 人間のもとに行く。


「監督、見学の生徒つれてきたんですけど、いいですか?」
「・・・いいよお。千代ちゃんのクラスの子?」
「はい、今日転校してきた子なんですけど」


千代の後ろで会話を聞きながら、あたしはグラウンドを見渡した。それにしても、監督って女性なんだ。 別に男尊女卑の精神があるわけではないけれど、千代から甘夏つぶしの話を聞いた後では なんか勝手に男性の監督だと思ってたんだよね。・・・でも、なんかこの声聞いたことあるなあ。



ー」
「あ、う・・・・ん・・・・」



うそおおおお!!!!ちょ、声が聴いたことあるとか云々じゃないよ・・・!千代が教えてくれた 野球部の監督は、あたしがこの西浦高校に通ってたことを知っているマリアだった。というか 同級だし友達だし、野球でもいろいろあったし。これやばい、と固まったあたしに、 千代が訝しげに声をかけてくる。それに気がついて、あたしは咄嗟に取り繕う。


初めましてです」
「え・・・」



絶対これバレてるよね?!マリアはあたしの顔を見て固まっていて、それが余計にあたしを焦らせる。 とにかく後で話をしようと、マリアに必死のアイコンタクトを送る。


(後で話すから・・!)
(・・!・・・分かった)


「えーと・・ちゃんね。今日は見学らしいけど」
「はい、少し見せてもらっていいですか?」
「いいよ」


マリアは先程の動揺を露ほども見せず、千代に指示をする。千代はジャージに着替えてくるらしい。 先程のあたしの様子を心配しながら、ベンチから離れていった。ああー、千代置いていかないでええええ! 話すとは言ったけど、こんな早く説明しなければいけないとは、と内心沈む。マリアの無言のオーラが怖いんだけど。ねえ。


「ええ、と。監督?」
「・・・よね?」


ああ、やっぱりバレてるや。何となくばれてない方に期待はしてたんだけど、それすらも無駄 だったらしい。いとも簡単に本名を言い当てられて、あたしはようやく観念した。 一つ溜め息を吐いて、こくりと頷く。


「ちょっとね、仕事で転入してきたことになってるんだよね」
「仕事?そういえば、ってどこに就職したの?」
「あー・・と、公務員だよ、一応」



マトリは麻薬に関る犯罪の摘発をしなければならないため、あまり職業のことは大々的に は言えないのだ。自分の身分が分かってしまえば、これからあたしはマトリで仕事ができなくなる。 どっこいしょ、と年寄り臭くベンチに座り込んで、隣のマリアを見上げた。


「公務員?」


あー、そんなじろじろと制服を見ないでよ。分かってるから、実年齢と比べたらコスプレだよ これ。はあ、と溜め息を吐く。此処でバレる気はなかったけれど、マリアには大まかな事情を説明しておいた 方がいいかもしれない。











「ふうん、マトリねえ。そんな職業初めて聞いたわ」
「まあね、そんな有名でもないし」



マトリの存在を知っているといえば、麻薬関係の人間だろう。マリアみたいに真っ当な道の人間が、 麻薬関係のことなんか知るはずもないのだから、マトリを知らないのも当然だといえる。 そう言うと、マリアは納得したように頷いた。



「九組の子だっけ?」
「うん、そうよ」


マリアは西浦の野球部の監督ではあるけれど、学校の授業とかには全然関係がない。だから、 ターゲットたちには会わないだろうし、誰かは分からないだろうと考えて、主要メンバーのクラスを 教えておいたのだ。まあ、もちろん名前は黙秘権を施行するけれどね。


「九組の子なら、うちの野球部にもいるわよ」
「え、ほんと?」


マリアからその情報を教えられて、思考を巡らせる。同じクラスにいるってことは、野球部員の子も 何らかの形でターゲットと接触しているのだろう。クスリを売りつけられてなきゃいいけど、 と心配しながら、何とかして主要メンバーの様子を見る方法はないものか考える。


「・・・・ねえ、。うちのマネージャーにならない?」
「うちって・・・野球部の?」
「ええ。いろいろ融通が利くと思うけど」


マリアにそう提案されて、確かにマネージャーからの伝達という用事なら、たびたび九組に 顔を出していても疑われることはないのかもしれない。それを思うなら、マリアからの話は あたしにとってかなりプラスになる。けれど、早急に答えを出す事はしなかった。


「マリアに迷惑が掛かるし、マネージャーより仕事優先するよ、あたし」
「いいわよ。それに、うちの子達を薬漬けにされるほうが困るわ」


と、ただでさえ大きな胸を張って、マリアは告げた。ほんと、格好いいよね、マリアって。 頼りになるし、それにひどく優しい。(あの時もあたしはマリアたちに助けられた。) ふと昔のことを思い出して、あたしはふるふると首を振る。とにかく、マネージャーのことは 今日にでも比企さんに尋ねてみなければ。仕事優先が基本で、あたしの感情などは後付だ。


「うん、ちょっと考えてくるね」
「分かった」
「・・・で、今日は何をしたらいい?」
「そうね・・・千代ちゃんの手伝いをお願いするわ」



千代ね、千代。ええ、と・・・あ、こっち来た。どうやら着替え終わったらしい。 一生懸命こちらに向って走り寄ってくる千代に笑顔で手を振って、 もう一度マリアを振り向いた。



「マリア、ありがと」


ぱちくり、とマリアは瞬きを繰り返す。



「どーいたしまして!」


ああ、やっぱり友達っていいなあ。なんて、にっこりと笑ったマリアを見て 思った23歳の春のこと。