じゃあね、と千代に告げ、電車から一人降りて向った先は関東信越局。つまり、あたしの 仕事場所だった。マトリも公務員だから、定時の五時で終わっているはずだけれど、 仕事熱心な人間が多すぎるから、部長や課長はまだ残っているのかもしれない。ついでに 野球部のマネージャーの件も聞いておこうと思いつつ、一課にまで足を進める。


?」
「あ、美佳!」


情報課の部屋からひょっこりと顔を出したのは、あたしと同期の立花美佳だった。 身長も同じぐらいで、二課の次長からは二人してからかわれている。まあ、次長もいい人なんだけどね、 普通に。ただ少し口が悪いのと、顔が凶悪すぎるっていうのが玉に瑕って言うか。


「お疲れ、情報課は今日も残業?」
「んーうちのエースがね、ちょっと張り切っちゃってて」
「ふうん?」


頑張ってんのね、と言えば、美佳は隈のできた目を細めて、小さく笑った。 こりゃ、飲み会で愚痴聞くことになるなあと内心苦笑を零して、一課の方向を指す。


「ごめん、また仕事終わったらね」
「分かった。じゃあね」


お互い頑張ろう、と声をかけて、一課の部屋の前まで移動する。やはり、部長か誰かいるのだろう。 ドアについている小さな窓から、蛍光灯の光が漏れ出ている。ドアノブを捻って部屋の中に入れば、 中には予想通りの人物が机に向っていた。


「比企部長、お疲れ様です」
「あれ、ちゃん。どうしたの」
「書類取りに来ました」


自分の机にある山のような書類を、皺くちゃにならないように鞄に突っ込みつつ、 比企部長を横目で観察する。何考えてるんだろう、か。またハルとカイ君の新人コンビが 厄介な事件に巻き込まれてるんじゃないかなあ、なんて予想をつければ、見事にそれは的中していた らしい。比企部長は珍しく苦笑して、



「ちょっとね、『龍玄』がらみで色々とあるんだよ」


と告げた。


「龍玄、ですか」


恐らく、あたしが西浦に潜入する任務を告げられる前に、ハルとカイの二人に与えられた 任務なのだろう。それも龍玄がらみだとすれば、誰かが危ない目にあう可能性は十分に 考えられる。いい加減マトリ自体人数が少ないのだし、あたしも協力できればいいのだけれど。 そんなことを告げると、比企部長には、「どうしても必要なときには動いてもらうから、 今は潜入捜査に専念してね」とにっこりと笑みを浮かべられた。ぞっ、と鳥肌が立つ。 分かってますよー、比企部長に逆らおうなんて思ってないです。だからそんな綺麗な笑みを 浮かべないでください・・・!



「で、ちゃんの方はどうなの?」
「あ、あたしですか?まあ今日が初日でしたし・・・金井政司には接触してません」



というか、転校早々接触すれば疑われるだけだろうなあ。金井くん本人にしろ、「mp」 の幹部たちにしろ。あたしがマトリだと勘繰られない様にしなければならないと、 と思えば、接触の方法もかなり絞られてくる。まあ、今回は潜入先がせっかくの高校だし、 高校っぽく女子たちの噂話と恋愛のほうで攻略してみようかと思っている。比企部長はそれを聞くと、 一つ頷いてGOサインを出した。


「いいんじゃないかな。何より楽しそうだし」
「・・・そ、うですかね?」


ここに梶課長がいれば、あたしの話した作戦にかなり反対しそうなものだけれど。 梶さんは、あたしとかハルが呆れるぐらい優しいからね。・・・比企部長にその優しさを 少しぐらい分けたらいいんじゃないかというのは、あたしと美佳の居酒屋での会話。


「野球部のマネージャーについては、ちゃんが考えていいよ。それが仕事に有益か、 そうでないか考えて結論出してね」
「はい」



野球部のマネージャーになって、九組に何の違和感もなく入り込めるっていうのは、 仕事をスムーズに進めるためには結構重要だったりする。けれど、その分仕事にかける時間が 野球部に当てられてしまうことを考えると・・・。やはり、明日マリアに断りの 返事をしよう。仕事云々もそうだけれど、真面目にやっている野球部員と千代とマリアに、 失礼だ、こんなの。


「・・・結論、でた?」
「はい。・・・・部長、コーヒー飲みます?」


入れますよ、とコーヒーメイカーを指差せば、いつもの笑みで部長は頷く。


「それにしても・・・」
「?なんですか?」


や、なんでそんなジロジロと身体を見るんですか・・・?!比企部長みたいな美形だからよかったものの、 下手に変なおっさんだとしたら、真っ先にセクハラで訴えているところですよ。 居心地の悪さに身じろぎすれば、比企部長はあたしの顔を見て口を開く。


ちゃん、制服は?」
「・・・・・・・・脱いできましたけど」


「えー」と残念そうな部長は放っておいて、カップを用意し始める。当たり前じゃないか、 セーラー服なんかでここに出入りしていれば思いっきり目立ってしまうじゃん・・・! そうでなくとも、普段からこの身長と童顔の所為で中に入れてもらえないときとかあるのに。 制服なんて着たら、余計に変な目で見られること間違いない。


「じゃあ、今度はこの中で着てみてね」
やですよ
「えー。似合うのに」



似合うから嫌なんですって。ますます洒落にならないことになるじゃあないか。 ああもう、早く誰でもいいから帰ってきて・・・!











「そう・・・残念ね」
「んー、マリアには本当に悪いと思うけどね」


と、そう告げれば、マリアは「いいよ」と言って笑った。今は朝練の時間で、 野球部員たちと千代は元気に走り回っている。あたしはその合間に、マリアにマネージャーの 件について伝えに来たのだ。あの後、家に帰って仕事にちょっと手をつけてから、 この朝練の時間に間に合うように家を出た。そうすれば、ちょうど隣の野球少年も 家から出てきたところで、あたしのセーラー服に目を見開いて驚いていた。・・・まあ、 普通驚くよね。けれどその後、「全然違和感ねえ」と言われたことは最高に傷ついたけど!


「まあ、正式なマネージャーはしないけど、千代の手伝いみたいな感じで仕事の合間に 手伝うことならできるから。扱き使ってよ」
「・・・あら、いいの?」
「そんぐらいならね。人手足んないでしょ?」


にへ、と笑いかければ、マリアは俯きながらぶるぶると震える。・・・ああ、この癖まだ治ってないんだ。 ちょっと距離とって置こうかなあ、と嫌な予感に身体を半身ずらそうとすると、目の前から 手が伸びてあたしの身体に巻きついた。手の持ち主など、わざわざ確かめなくても分かる。 マリアだよねえ。マリアは感極まったのか、腕に力をいれ、ぎゅうぎゅうと抱きしめる。 ちょ、苦しい・・!苦しいって、マリアあああ!!


「ありがとねー!!!!!!」


ぎにゃああああ!死ぬううう!!「なんだー?」「モモカン、と?」「どしたー?」 ちょ、少年たちが見てるよーマリアー。助けを求めるためにグラウンドの方に振り向けば、 水谷くんは首を横に振って目を逸らす。おおい!じゃあ、花井くん!花井くんなら助けてくれるよね! そう思い、息苦しさに涙目になりながら花井くんを見つめたが、こちらも撃沈した。というか、 顔を逸らされた。・・・ひどい・・・!!


「・・・あの、監督?」
「はっ!・・・ああ、ごめんね」


マリアはあたしの「監督」呼びにようやく我に返ったのか、身体を硬直させてあたしを 放した。・・・放してくれたのは有難いけど、何でそこで頭を撫でる?マリアは、 高校時代からあたしを子ども扱いだ。いつかマリアの身長抜いてやるんだからね! と昔は宣伝したものだけれど、もはや23にもなれば、これから身長が伸びることは皆無に等しい。 くああああ!牛乳いっぱい飲んだのに!やっぱり、日本人は牛乳に含まれてるカルシウムを 分解する酵素がないって言うのは本当だったんだ。


「ほらほら、皆練習に戻ってー」
「うーす」


途端に監督の顔になったマリアに苦笑しつつ、あたしはまたもや千代を手伝うことにした。