その女は、数多の中の愛人の一人に過ぎなかった。どこか優れているとか、 ここが綺麗だとか、特筆すべきところはあまり無い。どこにでもいる平凡な女だ。 だけれど、彼女が与えてくれる心地よい沈黙だけは、誰にも劣らぬものだった。





02.俺様と貴様





 最近、本屋のジジイが死んだと風の噂で聞いた。何でもマフィア同士の抗争に 巻き込まれた形で、流れ弾が腹に当たったのだとかいう話だ。そのジジイは自分が小さな頃から 本屋を営んでいて、それも高級で絶版ものばかりを取り扱っている少々変わった店だった。


 若い頃はボンゴレ9代目とともにイタリアの女をブイブイ言わせていたらしいが、 あの狸ジジイのことだ。どこまで本気やら。最近は仕事のほうが忙しくて訪れていなかったが、 あのジジイは本のことに対しては博識だった。自分の本の好みも熟知していて、 何も言わずとも悟るあのジジイを、結構気に入っていたのだ。


『死んだ、か』


 懐からタバコを取り出し、ジッポで火をつける。そのまま口に銜え、空を見上げた。 やけに晴れ晴れとした青い空で、あのジジイは空から自分を見下ろしていつものように 陽気に笑っている気がする。


 そういえば、ジジイのやっていた本屋は誰にも売り飛ばされること無く、 一人のジャッポーネが引き続き経営するらしい。あのジジイに身寄りがいたとは聞いたことが無い。 恐らく、また宿無しの人間を拾ってきたのだろう。それにしても、ジジイが娯楽でやっていたような 本屋を引き継ぐなんざ、物好きもいたものだ。自分としては、あそこは多少高くとも いい物が揃えてあったから、無くならなかった事に安堵した。










----------黒いスーツ、黒いコート、黒い靴に黒い帽子。


 すべてが真っ黒で統一された服装の自分に、本屋の女はちらりと一瞥をくれただけだった。 ジャッポーネだとは聞いていたが、女だったとは。ザンザスの服に対応するように、 女の髪も漆黒、瞳は黒曜石のよう。取り立てて美人ではないが、大変可愛らしい顔つきをしている、と 思ったのが第一印象だ。


『いらっしゃいませ』


 目つきの悪いザンザスを見て、女はにっこりと微笑んだ。大概、初対面の人間は ザンザスを一目見て萎縮するのに、女は営業用の笑みを浮かべただけ。物怖じしないとは、面白い女だ。 とりあえず、クロウ・リードの本を買うことにした。


 その後も、ザンザスは何度も女のいる本屋を訪ねた。女は、「」と名乗った。 死んだジジイには、生前根無し草だったところを助けてもらったらしい。 以前は日本にいて普通に就職をしていたそうだが、縦社会にうんざりしてイタリアに 飛び出してきたのだと言っていた。本人が言うとおり、の一日の行動は 至極楽なものだ。こんな高級な店には一般人は入ってこないため、暇なときは本当に暇で、 ザンザスが訪れたときには必ずコーヒーを出してきた。


---------心地いい。
 死んだジジイと一緒にいるときも、それは楽なモンだった。ジジイはザンザスが何を 職業としているのかを知っていたから、深くまで尋ねてこない。人の話を聞くのも、 自分のことを話すのも苦手なザンザスにとって、本屋のジジイは一緒にいて楽な人間だった。 は、というと。ジジイと同じように、何も尋ねようとはしなかった。ただ、ザンザスには 客と店員としての関係だけを求めているようで、他の女どものように変な好奇心を 表したりはしなかった。変な女で、一緒にいると楽で、安寧を与えてくれた。


 その、数ヵ月後だったろうか。ザンザスはその日些細なミスを犯してしまって、 敵マフィアから銃弾を腕に食らった。その男はすぐに殺して、武器を仕舞う。 雨の所為か、辺りが変に暗い。壁に凭れ掛かりながら路地出口へと足を進めると、 そこには女が一人立ち尽くしていた。---------だ。


『あ?何見てやがる』
『・・・血が、出てるわ』
『これぐらいどうってことねぇ』


 ずきずきと痛みを発する腕に、眉根を寄せる。はその姿を見て『でも』となおいい募った。 いいだろ、別に。話をするとは言っても、ただの顔見知り程度だ。それなのに明らかに やっかいな怪我をしている自分に関わろうとするなんざ、らしくもない。は笑顔で 相手と接するけれど、それは本心からの笑いではないことぐらいわかっている。むしろ 笑顔で牽制して、これ以上踏み込ませないように振舞っている。ザンザスとしてはその方が心地よくて、 のそんな部分に知れず安堵してるところがあった。けれど。



 遠くで、サイレンが響いている。誰かがマフィア同士の抗争だと連絡したのかもしれない。 警察はボンゴレと知ればすぐにザンザスを開放するだろうが、手続きが面倒だ。それに、 綱吉を引きずり出すと、にこにこ顔で仕事を押し付けてくるから出来るだけ面倒事は避けたい。 早くアジトに帰ろうと一歩前に進めば、が怪我を負っていない方の腕を掴んだ。


 どこへ向かっているのか。腕を振り払ってやろうと思ったが、直ぐに抵抗を諦めた。 もしも前を歩くが、ザンザスを殺しに来た殺し屋だとして。けれどもザンザスはきっと に勝てる。例え腕に銃創を負っていたとしても、こんな肉刺一つない白い手の持ち主には 負けやしないだろうから。頭の中でそう理由づけして、けれども本当の理由はザンザスがリンのことを 知らず信用しているからかもしれなかった。


 家に着いて、に応急処置を施してもらった。いやに慣れた手つきで、しっかりと迅速に 手当てをする。そう言えば、ここまで近づいたのは初めてかもしれない。触れられたのすら、初めてだ。 さらりと零れる黒髪を眺める。



---------それから先は、記憶がひどく曖昧だ。



 を抱いたのはこれが最初だった。果たして自分は熱に浮かされていたのか。女とはしばらくご無沙汰 だったせいもあるかもしれない。身も焦がすような熱に操られ、波打つシーツに乱れる長い黒髪。 激しい動きに知らず緩んだ包帯からは、えぐい傷跡が見えていた。血が、滴る。




 ふと気づけば、世界は朝を迎えていた。は何度目かも知らぬ絶頂に意識を飛ばして、 死んだように昏々と眠り続けている。無意識に手を伸ばして、の髪に触れた。そして、 今度は頬に。起きる前に、風呂を借りておこう。あのカス鮫あたりにやいやい言われるのは 面倒だ。むくりとベッドから起き上がる。



------ふと。


 一瞬、の背に見えた傷跡に、ザンザスは動きを止めた。抱いていた時はの身体に夢中で気がつかなかった のか。あまりにも大きな傷跡がの背中にあった。何かで引っ掻いた痕のような。 傷を気にする女の身体にしては珍しい。そんなことを思いながら、ザンザスはシャワールームへ 引っ込んだ。











END
<2010.3.8>






ザンザスが偽物過ぎて涙目\(^q^)/